不登校のキミ、そして見守っている保護者の方へ。
ボクは、「不登校をひらく(NO-MARK)」編集長のスガヤです。 今、キミの頭の中は、言葉にならない「モヤモヤ」がいっぱいで、「モーイヤ!」という状態じゃないかな? 逆に、考えることに疲れ果てて、アタマが「スカスカ」に感じているかもしれません。
ふとした瞬間に、「どうして学校に行けないんだろう?」「これからどうすればいいんだろう?」という問いかけがループして、ココロもアタマも動かなくなってしまう。
そんなキミへ、この特集では「書く」ことで再び、ココロとアタマ(そしてカラダ)を動かす方法をご案内します。
今は無理に、「みんな」に戻らなくていい
そんなキミに、ボクが一番伝えたいのは、「今は無理して”みんな”の中にいなくていいし、むしろ戻らないほうがいい」ということです。
もしかして、そばにいるママ、あるいはパパは常に「学校に行くのか、行かないのか」と問いかけてくるかもしれませんね(実はお恥ずかしいですが、我が家では一時期そればかりでした笑)。この”二極論※”の間で、どう接していいかわからず、親子ともクタクタになっているかもしれません。
※二極論:物事を「行くか、行かないか」「善か悪か」といった対立する2つの要素だけで判断しようとする考え方
でもボクは、このときに「寂しさ」や「不安」、なにより「親からのプレッシャー」に負けて、無理にどこかの集団に戻ろうとしなくていいと思います。不登校について、ある本にはこんなふうに書かれていました。
学校に行かなかったり、行けなかったりする不登校の子どもたちがこれほど増えているのも、根本的には、学校という場では「自分」を生きることがまったく尊重されないことを肌で感じ取った繊細な子どもたちによる「からだごとの異議申し立て」であるのに、いつまでたっても、それにまったく応じようとしない。 このままいけば、クラスの半分の子どもが不登校になる日もそう遠くはないし、そうなってもまったく不思議ではない、というのが、私の率直な実感です。 (諸富祥彦「孤独であるためのレッスン」)
そんな「学校」へ、心が疲れたまま無理に輪に戻っても、結局はまた人間関係のしがらみに捕らわれ、傷ついてしまうだけ。だから今は、焦って誰かとつながろうとする必要はありません。
「書く」で再出発。より深く強い「自分のトリセツ」を作る
ボクが勧めたいのは「書くこと」です。キミ自身の心とじっくり対話し、自分の取り扱い方をよくふまえた「しなやかな強さ(レジリエンス)」を蓄えてから、またゆっくりと社会に戻っていけばいいのです。
ボクの家では、ママが「行く/行かない」の結論を急いで苦しんでいた時期(今更あまり言うと、ママに怒られてしまうのですが笑)、ボクはムスコとの「日記」を媒介にして、ゲームやマンガの会話からその「行かない”間”にある気持ち」を一緒に探してみました。
「モヤモヤ/違和感」の正体は「内言(ないげん)」で、自分にしか(自分でも)わからない速記のような、細切れの言葉です。そのままでは整理がつきませんが、それをノートやスマホに書き出して「外言(がいげん)」にしてみる。
- 内言(ないげん): 自分にしかわからない速記のようなモヤモヤした言葉。
- 外言(がいげん): ノートやスマホに「外に出した」言葉。
「外に出す言葉(外言)」として書き出してみるだけで、脳は「もう覚えておかなくていい」と判断し、”一度忘れるスキマ”を作ってくれます。そして”一度忘れた”ていで、ふと後日向き合ってみると…「なんだ、そんなことだったのか」と”安心”できたり「違うよこういうことでしょ?」と”理解”できたりするものです。
このように「書く」という行為は、キミの中に「自分を優しく扱い、強く見守る、もう一人の自分」を育てるレッスンです。 でも「書く」は大変なことで、とても一度には取り組めないでしょう。順を追って、「ホップ・ステップ・ジャンプ」が大事です。更に詳しく、説明していきますね。
「書いたこと」が、”未来のキミ”を動かす力になる
まずはキミの「モヤモヤ/違和感」を言葉に変えていく
学校という場所で「自分」が尊重されないと感じたキミが、心と体で精一杯「NO」を伝えている。「不登校」はそんな、キミが”自分らしく生きようとする”ための第一歩であり原動力でした。
でもその原動力(エネルギー)は、放っておくと「モヤモヤ」としたまま「モヤ~」と拡散・霧散してしまいます。だからそれを、ほんの少しずつでも「形にする」「外に出す(外言化)」ことで、ただの「不満」から「意見・主張(クレーム※)」へと変えていきましょう。
※「クレーム(Claim)」には本来、日本で使われる「苦情」という意味はありません。「主張」もしくは「主題」ほどの意味で、言えば苦情や文句と捉えられてしまう点も、なんだか「自己主張するな」と言われているようでウンザリしてしまいますね!
そして先程”内言/外言”の話をしましたが、主張を外(言葉)に出してしまえば、今度はそんな「主張を実現するため必要なこと(学び)」へと観点が変わっていきます。
とはいえ「日記」は大変(ぶっちゃけ嫌)だ!
そしてその主張は日々変化するし、増えたり減ったりもします。なにより「書く」は「書く(使う)」ことで力が高まりますから(筋力のようなもの)、できるだけ毎日書きたい。……となるとこれは「日記」という話になってくるし、ほとんどのボクたちにとって、日記には良い思い出もイメージもありません笑(人参のようなもの?!)
なので、いきなり「日記」として書き始めるのでなく、こと習慣化のため最適といわれている、「ベビーステップ(赤ちゃんでもできる、最初の一歩)」から始めましょう。
【ベビーステップ】ママ/パパがキミに「インタビュー」
まず、キミはペンや紙を持ちません。ママ、あるいはパパ(できるだけ「二極論」でないほう)にお願いして、「インタビュアー」になってもらいましょう。
ルールはふたつだけ
1.「不登校」に関することは”一切”聞かない(「なんで行かないの?」「学校の何が嫌?」など)
2.「なぜ?(Why)」で聞かない(問い詰めない、深堀りしない)
インタビュー項目は何でもいいですが……たとえば以下ではいかがでしょう?
- 何かキミの注意・関心を引くもの
- 何か思いついたり、言いたい、知ってもらいたいこと
- 最近の生活で気付いたこと、感じたこと
- 今の気分を感じて「何もかも大丈夫」と言えそうか?言えないなら、邪魔しているものは何か?
他にも、以前から興味があった、趣味や夢の話をキミから話してみてもよいです。ポイントは、強く「答えよう」と気張らず、アタマのなかに”パッ”と浮かんだ言葉やイメージを「ただ口に出す」ようにします。
インタビュワーは、そんな”本人さえ気づかないような小さな対象/気持ち”を、そのまま書き取ってあげましょう。
あらかた出揃ってきたら、それらを振り返りつつ”挨拶”してみましょう?それは良いものですか?これからも一緒にいて良いですか?もし「もう付いてこないで!」なら、その場で消してしまいましょう。
「(明日以降も)付いてきても良い」なら、引き続き明日以降も「〇〇については、どう?」と”挨拶”を繰り返してみましょう。するとなかには、”もっと違う言葉”がよかったり、部分的には良いけど”何か違う”という感覚が出てくるはずです。そうやって「ぴったり」を探していき、「もうじゅうぶん」になったらおしまい。そうやって、出てきた好意的なものを、まずは十分に受け止め、味わってみましょう。
じゅうぶんに味わったら、今度は「似た別のもの」「もっと大きくする/増やすには?」「さらに純度高く磨くには?」などを、さらに考えてみるのですが…そうなってくるともう、「インタビュワー」は不要になってくるかもしれません。
そうなれば”準備完了”です。
これはキミの「リソース(よさ・変化)」を探るための準備運動で、もう少しいえばキミの「内側(内言)」にアクセスするための「フォーカシング」という方法(の一部※)でした。
※諸富祥彦「孤独であるためのレッスン(第五章)」を、スガヤ家(ボクとムスコ(※当時小4、不登校)のやりとり)流にアレンジしたものです。詳しく(正しく)は本著、またはアン・ワイザー・コーネル「優しいフォーカシング」を参照してみてください
こうなってくると……だんだん”それら”のことが、毎日気になってきませんか?そうなればしめたもので、だんだん手帳/ノートが手放せなくなってきます。あるいはどうしても「書くのは苦手!」というキミもいると思います(ムスコはそのタイプでした笑)。そんなときはママやパパに”代筆”をお願いしても良いし、デジタル機器に頼っても良い。
大事なのは「書き溜める/続ける」こと。これが、キミがいつか「自分」を取り戻した時に、”自分”をどれだけ大切で丁寧に育んできたか?を知るための、かけがえのない「自信(証拠)」になってくるんです。
「本当に?!」と思った鋭いキミに、もう少し詳しくその根拠や別の方法をご案内します。改めて、「ジャーナリング・ジャーニー」へようこそ!(※続く)
