・書籍タイトル: 「普通がいい」という病
・著者: 泉谷 閑示
・出版社: 講談社現代新書
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「普通」であろうとする病と、心身の意思表示
本書は、精神療法(心理療法)を専門とする精神科医・泉谷閑示氏が、現代人が陥りがちな「普通」という価値観への過剰適応と、そこから生じる心身の歪みについて、臨床経験や哲学・文学・芸術の言葉を交えて体系的に考察した一冊です。
著者は本書の第4講において、「不登校」や「ひきこもり」について直接言及しています。そこでは、これらの状態を単なる「治療すべき異常」や「病気」として扱うのではなく、長らく「頭(理性)」によってコントロールされ、従わされてきた「心」が、限界を迎えて起こした「反逆」であると定義しています。
なぜ人は「普通」であろうとして不調をきたすのか。そして、そこから回復し、自分自身の人生を取り戻すためにはどのようなプロセスが必要なのか。本書は、その理論的背景を深く掘り下げています。
1. ユニコーンの「角」と適応のアダプター
――「自分らしさ」を手放すことの代償
著者は冒頭で、テネシー・ウィリアムズの戯曲『ガラスの動物園』に登場するユニコーン(一角獣)の比喩を用い、現代社会の構造的な問題を指摘しています。人間は誰もが、他人とは違う固有の「角」を持って生まれてきます。「角」とは、自分が自分であることのシンボルであり、生来の資質です。
しかし、集団生活の中ではこの「角」が目立ち、異質なものとして扱われることがあります。その結果、多くの人は「角」があるから生きづらいのだと考え、自らその角を取り除き、「普通」であろうと努めます。著者はこの状態を、社会に適応するために後天的に身につけた「適応のアダプター(仮面)」のようなものであると説明しています。
心身の不調や、生きるエネルギーが枯渇する状態は、この「角」を邪魔にして隠し、自分自身で憎むようになった時に起こると著者は述べています。つまり、症状として現れているものは個人の「弱さ」ではなく、不自然な「普通」への適応に対する、生命としての拒否反応であると読み解くことができます。
2. 「頭」による「心・身体」への独裁
――自己コントロールの影響としての「不登校」
本書の核心的な理論の一つに、人間を「頭」「心」「身体」の三層構造で捉えるモデルがあります。
- 頭(理性): コンピューターのような働き。「~すべき」「~してはいけない」という二元論で判断し、コントロールしようとする。
- 心(感情・欲求): 「~したい」「好き・嫌い」を感じる場。「今・ここ」に反応する。
- 身体(感覚): 「心」と一心同体であり、直結している。
著者は、現代人の多くが「頭(理性)」を独裁者のように振る舞わせ、「心」や「身体」をコントロールすべき対象として支配している状態にあると指摘します。
著者はこの「自己コントロール」によって引き起こされる問題の一つとして、「不登校」を挙げています。保護者の方や周囲からの「あなたのため」というコントロールを受け入れ、理性の力で自分を律してきた子どもが、ある時「堪忍袋の緒が切れて」、頭への従属を拒否し始めた状態です。これは「心」によるストライキであり、本人にとっては「反逆」の開始であると著者は解説しています。
3. 「北風と太陽」のアプローチ
――コントロール志向からの脱却
著者は、イソップ寓話「北風と太陽」を引用し、対象への関わり方を対比させています。
- 北風(コントロール): 力ずくで旅人のコートを脱がそうとする。旅人は寒さを感じ、より強くコートを握りしめる(抵抗する)。
- 太陽(受容・自発性): 暖かさを送る。旅人は自ら必要性を感じてコートを脱ぐ。
「頭」による理性のコントロールは「北風」のアプローチです。これは対象を捻じ曲げ、反発を生みます。対して、本当の変化は内側から自発的に起こるものであり、それを可能にするのが「太陽」のアプローチです。
著者は、摂食障害や不登校などの問題に対し、表面に現れた状態だけを「異常」と見なして治療・矯正しようとする(北風)のではなく、その問題が生み出された根源の欠乏に目を向ける(太陽)ことの重要性を説いています。
4. 葛藤と「安心して悩む」こと
――「悩み」は不調ではなく、健康な力の証
本書では、「葛藤(悩んでいる状態)」をネガティブなものとは捉えません。葛藤とは、相反する二つの気持ち(頭由来の考えと、心由来の感情)が意識上に並存している状態であり、これは心理学的に見れば「抑圧」されていない健康な状態です。
逆に、悩みがないように見える「スッキリした状態」こそ、一方の感情を無意識下に抑圧した「病的な安定」である可能性があります。抑圧された感情は消えることなく、後に身体症状や無気力(うつ状態)として噴出します。
著者は、治療(回復)の本質を「病的な安定」から「健康な不安定(葛藤)」へと移行させることだと定義します。そして、「安心して悩める」状態こそが人間として健康であり、安易に答えを与えて葛藤を解消させるのではなく、葛藤を持ちこたえる力を育てることが重要であると述べています。
5. 精神の成熟プロセス(駱駝・獅子・小児)
――混乱は「回復」への通過儀礼
ニーチェの『ツァラトゥストラ』を引用し、人間の精神が成熟していくプロセスを3段階で解説しています。
- 駱駝(らくだ): 従順、忍耐、努力の象徴。「汝なすべし(You should)」という命令に従い、重荷を背負う段階。いわゆる「良い子」「過剰適応」の状態に相当します。
- 獅子(ライオン): 反逆、自由の獲得。「われは欲す(I want)」と叫び、既存の支配と戦う段階。著者は、不登校などの「反逆」をこの獅子への変身であると位置づけています。
- 小児(こども): 無垢、創造的遊戯。「然り(Yes/あるがまま)」と肯定し、新しい価値を創造する段階。
従順な「駱駝」であった人間が、理不尽な重荷に気づき、荒々しい「獅子」へと変化することは、「悪化」ではなく「本当の自分」を取り戻すための不可欠なプロセスであると著者は解説しています。
この本について
・独自の視点
本書は、「常識的で良い子」として育ってきた人がなぜ苦しむのかという疑問に対し、「理性(頭)による自己コントロール」こそが問題の原因であるという視点を提示しています。社会適応をゴールとするのではなく、人間が本来持っている「動物的な生命力(心・身体)」の復権こそが重要であると説き、不登校やうつ状態を「自分を取り戻すためのストライキ」や「反逆」として肯定的に捉え直しています。
・相対評価
・評価軸の傾向 理論(抽象) ⇔ 方法(具体): 理論(抽象)寄り。具体的な対処法(How-to)ではなく、人間存在の根本原理や心の構造を哲学的に解説しています。
・ドライ(客観) ⇔ ウェット(感情): ウェット(感情)。著者の個人的な感覚や、詩・文学からの引用が多く、読者の感性に訴えかける内容です。
・今すぐ(短期) ⇔ じっくり(長期): じっくり(長期)。即効性のある解決策ではなく、人生全体を通じた成熟や価値観の変容を促すものです。
・当事者目線 ⇔ 支援者目線: 両方。悩んでいる当事者が自己理解を深めるためにも、保護者の方や支援者が人間観を問い直すためにも有用です。
・ポジティブ(肯定的) ⇔ ニュートラル(客観的): ニュートラル。「治す」「適応させる」という作為を排し、あるがままのプロセスを信頼する姿勢が貫かれています。
・発達特性との関連度: 1。特定の発達特性に関する記述ではなく、すべての人間に共通する普遍的な精神構造を扱っています。
スガヤのふせん ~個人的ブックマーク
編集長のスガヤです。
当サイトが提供する「環境バランス診断」において、なぜ安易な登校刺激を行わず、内面の回復を優先するのか。その判定ロジックの根拠となる人間観が、本書には体系的に記されています。
■ 「タッグ型」と「すれ違い型」の判定
診断では、保護者の方と子どもの回答傾向を比較し、両者の間に乖離がある場合を「すれ違い型」と判定しています。これは本書の「頭と心」の理論に基づいています。保護者の方が社会的な正しさや理性(頭)で物事を判断し、子どもが身体的な辛さや本音(心)で訴えている場合、両者の会話は噛み合いません。このズレこそが、解決を遅らせる要因であると捉え、まずは保護者の方が「正論(頭)」を手放すことを提案しています。
■ 「エネルギー枯渇」と休息の推奨
診断において、子どものエネルギー状態が低下している場合、登校刺激を禁忌とする「エネルギー枯渇」判定を出しています。これは本書における「心=身体のストライキ」 および「適応のアダプターによる消耗」 の理論を根拠としています。エネルギーが枯渇した状態は、無理な適応を続けた結果の「ガス欠」です。ここで外部から無理やり動かそうとする「北風(コントロール)」のアプローチを行うと、子どもは防衛本能からさらに殻に閉じこもります。回復には、本人の内発的な力が湧くのを待つ「太陽」のアプローチ(安心して休ませること)が不可欠であるという視点を採用しています。
本書には、子どもが「良い子(適応した子)」から不登校になる瞬間についての、非常に印象的な記述があります。
子どもの「心」はあるとき堪忍袋の緒が切れて、「頭」に隷属していることをやめたいと反逆を開始します。「心」のエネルギーが大きく感性の発達している人ほど、それは早期に訪れることが多いようです。
(P.100より)
この反逆は、社会不適応の形をとることが多く、不登校、ひきこもり、家庭内暴力、など(中略)の場合もありますし、「あなたのため」と親が自分に叩き込んだものが、ある時、「親のため」であったことに気付き、そこで湧き上がってきたやり場のない怒りが、外向すれば暴力や逸脱行動となり、内向すればひきこもりや(中略)などになるわけです。
不登校は、決して「弱さ」から来る逃避ではないことがわかります。それは、子どもが自分自身の人生を取り戻そうとする、重要な「反逆」であり「主張」なのです。
この本は、保護者である私たちが、子どもをコントロールしようとする「頭」の働きを休め、子どもの「心」の声に耳を傾けるための、大切なガイドとなる一冊です。
