掲載情報 ・書籍タイトル: 家族関係を考える
・著者: 河合 隼雄
・出版社: 講談社現代新書
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・目次
1―いま家族とは何か 2―個人・家・社会 3―親子であること 4―夫婦の絆 5―父と息子 6―母と娘 7―父と娘 8―きょうだい 9―家族の危機 10―老人と家族 11―家族のうち・そと 12―これからの家族
「よい子」の反乱は、自立への産声である
「あんなに素直でよい子だったのに、なぜ急に学校へ行かなくなったのか」「なぜ家庭内暴力が起きたのか」。不登校や家庭内の荒れに直面したとき、多くの親御さんはそう嘆きます。しかし、日本におけるユング心理学の第一人者である河合隼雄氏は、その「よい子」の状態こそが、親の期待や「母性的な一体感」の中に飲み込まれていた状態だったのかもしれないと示唆します。 本書は、単なる育児書や家族論ではありません。日本特有の「母性原理(すべてを包み込む優しさ)」と、西洋的な「父性原理(善悪を分け、自立を促す厳しさ)」という視点を用いながら、現代の家族が直面している苦悩の正体を解き明かしていきます。 不登校や反抗は、子どもが一個の人間として自立しようとする際、避けては通れない「実存的対決」の表れであること。この視点は、混乱の中にいる保護者に、問題の本質を見極める冷静さと、子どもと向き合う覚悟を与えてくれます。
ポイント: 「母性」の包容力と、「父性」の切断力
本書の核心は、日本の家族関係の根底にある「甘え」や「一体感」の構造を分析し、真の自立には何が必要かを説いている点にあります。
・母性と父性のバランス: 日本の家族は「母性原理(包容・平等)」が強く、安心感がある反面、個人の自立を阻む側面があります。一方で、子どもが社会的に自立するためには、「父性原理(切断・区別・規範)」が必要です。現代の不登校は、この父性的な力が家庭や社会で機能不全を起こしていることの現れとも読めます。
・「よい子」の危険性: 親の期待に過剰に応えてきた「よい子」ほど、思春期にその反動が来ます。それは、親という「枠」を壊し、自分自身の人生を生きようとする必死の叫びです。
・「実存的対決」の場としての家庭: 家族だからといって、いつもニコニコと団欒しているのが正解ではありません。個と個がぶつかり合い、お互いの「影(見たくない部分)」を含めて認め合うプロセスこそが、本当の信頼関係を築きます。
・ハウ・ツーの不在: 人間関係に「こうすれば直る」という単純なマニュアルはありません。安易な解決策に逃げず、子どもという「他者」と向き合う苦しみの中にこそ、解決の糸口があります。
この本について
・独自の視点
臨床心理学者として数多くの家族と向き合ってきた著者の言葉には、きれいごとではないリアリティがあります。「昔の家族はよかった」という懐古主義でもなく、欧米の個人主義をそのまま礼賛するのでもなく、日本人の心性に根ざした「新しい家族のあり方」を模索しています。特に「イエ」制度が崩壊し、核家族化した現代において、私たちが無意識に求めている「つながり」の危うさと大切さを鋭く指摘しています。
・相対評価
・評価軸の傾向 理論(抽象) ⇔ 方法(具体): 理論(抽象)寄り。具体的な対処法よりも、問題の背景にある心理構造の理解を促します。
・ドライ(客観) ⇔ ウェット(感情): ウェット(感情)。日本人の情緒的な結びつきを重視しています。
・今すぐ(短期) ⇔ じっくり(長期): じっくり(長期)。即効性のある解決策ではなく、親としての在り方を問い直す本です。
・当事者目線 ⇔ 支援者目線: 支援者(専門家)目線。カウンセラーとしての深い洞察に基づいています。
・ポジティブ(肯定的) ⇔ ニュートラル(客観的): ニュートラル。家族の負の側面(影)も直視させられます。
・発達特性との関連度: 1。特性そのものより、普遍的な親子関係の力学に焦点が当てられています。
まとめ: 「解決」よりも「対決」を恐れないこと
本書は、不登校を「早く学校に戻すこと」で解決しようとする焦りに対し、一度立ち止まって考える時間を与えてくれます。 子どもが学校に行かない、あるいは親に反抗するということは、それまでの「なあなあ」の関係を終わらせ、一人の人間として親に対峙しようとしている証拠かもしれません。 「家族関係に単純な規準が存在せず、個性と個性のぶつかりあいが要請されるようになると、そこにはハウ・ツーは存在しなくなる」。この著者の言葉は厳しく響きますが、同時に「マニュアル通りにできない自分」を責める必要はないという救いでもあります。 家族という「逃げ場のない関係」の中で、泥臭くぶつかり合い、悩み抜くこと。そのプロセスの先にしか、子どもの本当の自立も、親の自立もないことを、本書は優しく、しかし力強く教えてくれます。
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スガヤのふせん ~個人的ブックマーク
不登校という「問題」を前にすると、手っ取り早い「正解」や「特効薬」を探してしまいがちです。しかし、河合先生はそんな私たちに、こう語りかけます。
父親は自分の仕事に全力をつくしながら、子どもを育てるのは片手間でできる『よい方法』を知ろうとする。しかし、これは無理な話である」 「家族関係に単純な規準が存在せず、個性と個性のぶつかりあいが要請されるようになると、そこにはハウ・ツーは存在しなくなる(P.18より)
耳が痛い言葉ですが、これは逆に言えば「正解なんてどこにもないのだから、自分の頭と心で、目の前の子どもと向き合うしかない」という強烈なエールでもあります。 不登校の子どもが求めているのは、親が教科書通りの対応をしてくれることではなく、一人の人間として、自分の痛みや怒りを真正面から受け止めてくれることなのかもしれません。
本書の中に、「自転車泥棒」という映画の話が出てきます。追い詰められた父親が自転車を盗んでしまい、それを見た幼い息子が、惨めな父の手を握るシーンです。
われわれ父親はそこで、まったく頼りのない存在として、自分の全存在をかけて子どもに対するより仕方がないのである。そのときこそ、子どもは手を差しのべてくれるであろう(P.82より)
親としての威厳や、正しい親像なんてかなぐり捨てて、弱さも含めた「全存在」で子どもと向き合う。 不登校という出来事は、私たちが「親という役割」を脱ぎ捨て、一人の人間として子どもと出会い直すための、得難いチャンスなのかもしれません。おどらず、どうじず、こだわらず。でも、逃げずに、そこに居続けること。それが一番の近道なのだと感じさせてくれる一冊です。

