不登校の「混乱期」を経て、子どもが少しずつ動き出そうとする「回復期」。保護者にとっては、ようやく光が見えた喜びとともに、「今度こそ失敗したくない」という強い焦りが生じやすい時期でもあります。
一方でこの「回復の兆し」はまだまだ確定的でなく、「わかったつもり」で話しかけたら「なにもわかってない!」とまた逆戻り…というのも、非常にありがちな失敗談です。
この繊細な局面において、専門家たちが口を揃えて強調するのは、無理に子どもの心を「わかろうとする(Judgement)」ことを手放し、ありのままを「観察する(Observation / without Judgement)」姿勢に徹することの重要性です。本記事では、複数の専門家の知見に基づき、なぜ「観察」が回復の鍵となるのか、その具体例と実践メソッドを詳しく解説します。
そもそも「自分の子供だからわかる」のだという意識が、数々の子育ての失敗を引き起こしたりします。いっそ「わからない」という前提で、「(わからない部分を含めて)ありのままを愛する」「変えようとするでなく”祈る”」という姿勢を身につけることこそ、親子関係のよりよい再構築につながるのかもしれません。
……というのが我が家の不登校を経ての”痛い”学びです/スガヤ)
なぜ「わかろうとする」より「観察」が重要なのか
多くの親は、深い愛情ゆえに「子どもを理解したい」と願います。しかし、混乱→回復期における「理解」には、しばしば落とし穴が潜んでいます。
「理解」に忍び込むJudgement(裁き)
親が「わかろう」とするとき、無意識のうちに自分の経験や価値観、あるいは「学校に行くべき」という規範/常識、または専門家のアドバイスを通して、子どもを見てしまいがちです。
これは「主観の歪み」であり、親自身の不安に基づいたフィルター(Judgement)です。見えない「メガネ」みたいなもので、曇ったり偏向した視界で目の前の子どもを見てしまうことで、”真の状態”を見誤らせ、回復を遅らせたり信頼関係を損なう要因になり得ます(「なんにもわかってない!」「そうやって本に書いてあったんでしょう」)。
「観察」=「波長を合わせる」科学者の視点
対して「観察」とは、自分の評価を一旦脇に置き、事実をただ見ることです。
- 「事実」の蓄積: 子どもの発言、身体症状や行動を客観的なデータとして捉えます。
- 波長を合わせる: 自分の判断/感覚を押し付けず、子どもの時間の流れや興味をただ隣で共に”感じる”姿勢を保ちます
専門家が示す「観察」の具体例
専門家たちが挙げた事例から、Judgement(評価・断定)とObservation(観察・受容)の違いを鮮明に見ていきましょう。
事例A:ゲームに没頭する姿をどう見るか
- Judgement(評価)的な見方: 「ゲームばかりして怠けている」「現実逃避だ」「このままではダメになる」と、親の不安から子どもの行動を「悪」と決めつけます。
- Observation(観察)的な見方: 「どんなゲームを、どんな表情でしているか」に注目します。ある事例では、子どもがゲーム内で壮大な建造物を作る「創造性」や、ネット上の「コミュニケーション」が観察されました。親がこの「事実」を認め、肯定的な関心を示したことで、親子関係が劇的に改善しました。
事例B:回復期特有の「呟き」への反応
- Judgement(評価)的な見方: 子どもが「学校へ行こうかな」と呟いたとき、親が嬉しさのあまり「じゃあ準備しよう」「いつから行く?」と先回りして背中を押すことです。これは子どもの「迷い」を「確固たる意志」と大人の期待で解釈してしまう行為です。逆に「大丈夫?」「まだ早いんじゃない}なども、余計な一言です。
- Observation(観察)的な見方: その言葉を、最近「リビングにいる時間が増えた」といった行動の変化をただ受け止めます。焦らず、本人のペースに波長を合わせることが推奨されます。このとき「行くんだね、何か手伝えることはある?」という冷静な反応になります。
事例C:学校からの連絡に対する反応
- Observation(観察)的なポイント: 担任からの手紙を渡した際、子どもが「その場で読むか」「ゴミ箱に捨てるか」「こっそり保管しているか」を実験的に観察します。
- 分析の視点: 「こっそり読んでいる」「保管している」事実は、内心では繋がりを求めている可能性を示唆します。これは言葉(「学校なんて大嫌いだ」)よりも信頼できる「行動データ」です。
学校からのお知らせや、フリースクールのパンフレットは「読んで」でなく、基本「積み上げておく(放置)」がよいでしょう。子どもに読む気があれば自然と手に取るはずですし、その「手に取ったタイミング/対象」こそがとても大事な情報です。
このとき「探偵ばりの観察眼」を持っているとその情報量が格段に高まりますが……これは”上級編”ですね笑 /スガヤ
実践:保護者のための「観察メソッド」
今日から家庭で実践できる、具体的かつ強力な観察ツールを提案します。必要なものは唯一、「紙とペン」です(さらに「手帳」また「色ペン」だとカッコいいかもしれません)。
① コンプリメント・ノート(観察記録)
長年の癖である「評価(Judgement)」を排し、事実を見る目を養うためのトレーニングです。
- 方法: 毎日、子どもの「よさ(リソース)」を3つ以上見つけてノートに書き出します。「ご飯をおいしそうに食べた」「挨拶をした」といった、普段なら見過ごす「当たり前」を、すべて「生きる力」という観察対象に変えます。
- 効果: 意識的に「よさ」を探すモードに切り替えることで、ネガティブな「親の勘」を鈍らせ、事実を直視する力を養います。
② 「黒字ノート」によるポジティブ・アセスメント
家計簿の収入欄のように、子どもの「プラスの変化」だけを事実として記録します。
- 方法: 「2週間ぶりに散髪に行った」「自分でお皿を運んだ」など、目に見える特定の行動を記録します。
- 効果: 親の不安フィルターを通さず、客観的な事実を積み重ねることで、親自身が回復を実感し、子どもを肯定的に見られるようになります。
③ マズローの欲求段階説を用いた「現在地」確認
子どもが今、どの段階でエネルギーを蓄えているのかを冷静にアセスメントします。
- 生理的・安全の欲求期: まだ家で安心して眠れない、身体症状がある段階。この時期の登校刺激は禁忌です。
- 所属の欲求期: 症状が落ち着き、会話が増え、「暇だ」と呟き始める段階。ここで初めて軽い刺激を入れ、反応を観察します。
親自身の「不安」もまた、観察の対象である
なにより、子どもをジャッジせずに観察するためには、親自身が自分を客観視する「セルフモニタリング」が不可欠です。
- 「課題の分離」の視点: 子どもの姿を見て不安になった時、「これは子どもの課題か、私の課題(世間体や不安)か?」と自問します。
- 親のリラクセーション: 親が子どもと心理的に分離し、自分の時間を楽しむことは、結果として子どもを客観的に観察する「余裕」を生みます。
結論:子どもの「ファン」になる(「推し活」のススメ)
混乱→回復期において最も大切なのは、親が一喜一憂しない「観察者」になることです。
無理にわかろうとして深掘りしたり、正論で「分析」したりするのは一度お休みしましょう。それよりも、どんな小さな変化も見逃さない「ファン」のような温かさを持って接してみてください。親が事実をありのままに認め、その背後にある「生きる力」を信じること。その盤石な土台の上にこそ、子どもは自分なりのタイミングで、新しい一歩を選び取っていくのです。
心理学者の齋藤孝先生は、「不登校/ひきこもりの子どもは”座敷わらし”みたいなものと考える」とアドバイスされています。もし家に「神様」が居ついているのだとしたら、「学校に行け」とか「勉強しなさい」などと強く詰め寄ることはまずありませんよね。基本的には、機嫌よく過ごせるように「祈り、整える」対応のみになるはずです。
この解釈からさらに一歩進めて、当サイトでは子どもとの関わりを「推し活」と呼んでみることにしました。
「推し活」としての関わり方 3カ条
遠くから「幸せ」を祈り、道を塞がない 無理に内面を暴こうとせず、快適に過ごせる環境を淡々と整えます。親自身が自分の人生を楽しみ、機嫌よく笑っていること。その安定した空気感が、結果として「推し(子ども)」のエネルギーを回復させる一番のサポートになります。
偶然目が合っただけで「感激」する 「推し」に対して「なぜ私を見てくれないの?」と詰め寄るのは無粋というもの。リビングに姿を見せた、目が合った、一言挨拶を返してくれた。そんな些細な「事実」を、幸運なギフトとしてそのまま受け取ります。
「存在そのもの」を全肯定する(ヨイ出し) 「学校に行った(成果)」ではなく、「今日のご飯を美味しそうに食べていた」「ゲームの建築がすごい」といった、今そこにある状態(プロセス)に注目し、心の中で「尊い……」と呟く感覚で肯定していきます。
「わかろう、解決しよう」と身構えると、どうしても「裁判官」のように厳しい目でお子さんをジャッジしてしまいがちです。でも、相手が「推し」だと思えばどうでしょう?
偶然部屋から出てきた姿に「生きててくれてありがとう」とすら思えるかもしれません。この「期待しすぎない、でも熱く見守る」という、絶妙な距離感こそが、回復期の親子にとって最も呼吸しやすい空間をつくるのです。
さて、あなたの「推し」は今日、どんな素敵な姿を見せてくれましたか?(スガヤ)

