【応用編】不登校こそ「オンライン」の活用を~(3)「子どもの意欲」を停滞させない~

というわけで以降2回は、思考を切り替えて「停滞しない」ための”攻め(子/親)”シリーズとしてお届けします。

前回に続き冒頭で強くお伝えしておきますが、これはあくまで”当サイトによる”イチ見解です。「これが正解だ」と盲信するのではなく、「我が家のOSに合うか?」を必ず批判的に捉え、読後にご家族で検討してください。

目次

子どもの学びとその意欲を停滞させないために

このシリーズには「応用」と冠しています。その実践の見極めは、くれぐれも慎重に(できれば第三者も交えて)判断してほしいのですが……。

世間一般で言われる不登校の回復プロセスは、以下のようなものです。

【一般的なモデル】 前駆 → 混乱 → (しばらく様子を見る/ただ見守る) → 回復 → 行動期

しかし当サイトでは、ボク個人の経験とマーケティング視点を踏まえ、あえてこの真ん中に、積極的なフェーズを”代入”したいのです。

【NO-MARK流・令和モデル】 前駆 → 混乱 → (能動的な「温め/焚き付け」) → 回復 → 行動期

なぜ、「ただ待つ(見守る)」ではいけないのか? その最大の理由は、子どもたちが生きる環境が「昭和・平成」とは劇的に変化してしまったからです。

「退屈」を狙い「暇」を奪う、令和の”デジタル沼”

かつて昭和の時代は、「学校へ行け!」という登校刺激が強すぎました。その反動として、平成にかけて「無理強いはやめよう、エネルギーが溜まるまで待とう」という受容的なアプローチが主流になりました。 当時の「待つ」には意味がありました。家でやることといえばテレビか漫画くらい。やがて子どものエネルギーは「退屈(脂肪分)」し、その退屈が「暇=そろそろ動き出そうかな」という内発的なエネルギー(脂肪燃焼)に変わっていったからです。

しかし、令和は違います。 彼らの手元には、「ゲーム」があり、さらに危険な「SNS」**があります。

特にTikT◯kやY◯uTubeショート特定SNSのような「無限スクロール」型のSNSは、子どもの脳から「退屈」と感じる時間/感覚を完全に奪い去ります。ドーパミンが出続けるこの環境下で「ただ待つ」ことは、”砂地に水をまく”ようなもの。 エネルギーが溜まるそばから、SNSという広大な砂漠が意欲を吸い取ってしまい、いつまで経っても「回復の器」が満タンにならない……そんな「意欲の吸い上げ」が発生するリスクが極めて高いのです。

では某”特定SNS”は、なぜそのようなことをするのでしょうか?彼らは純粋な「悪意」で行うのでしょうか?

(編集長兼)デジタルマーケッターとして、極めて端的に解説しますと……彼らは人間の「関心」を奪い、それを「換金」しているのです。これを専門用語で「アテンション・エコノミー(関心経済)」と呼びます。またその仕組みは、極めて巧みに「心理学」的に操作されています。

そしてこと広告商品として、「人に言いづらいネガティブな悩み(借金、薄毛やダイエット、そして「不登校」)」こそが高値でよく売れることは、十分知られた、残酷なセオリーです。

え?思ったより売れない?ならもっと(しかし極めて慎重に)、劣等感を強調してみましょう。大丈夫、「時間」だけは十分ありますから

…陰謀論だと思いますか?(たしかにボクも、そうあってほしいところですが)

「不完全燃焼」が、不登校を長期化させるリスク

このように、令和の子どもを取り巻く環境は、一変しています。 彼らの手元には、24時間営業の「ゲーム」や「SNS」があります。これらは、子どもが「退屈(脂肪)」を感じそうになった瞬間、すかさず隙間に入り込みます(ゆえにボクは、令和の「昼夜逆転」にも反対派です)。

【不登校状態の比較】
  • 昭和:退屈 → 脂肪 →燃焼開始(回復期へ)
  • 令和:退屈 → SNSにより「退屈」が解消(不完全燃焼→長期化)

もちろん、必ずしも「これしかない!」というわけではありません(SNSには、ポジティブな側面もたくさんあります)。こと特定のデジタルコンテンツ(サービス)、うち「暇つぶし」的なものが、このような作用を及ぼし「燃焼スイッチ(=自分から何かやりたいという意欲)」が入らないまま、ただ時間だけが消費されていく場合があるということだけ、ご認識いただければと思います。

これこそが、ボクが危惧する「砂地に水をまく」状態の正体です。 意欲の燃料となる「退屈」さえ許さない、このデジタル沼の構造がある限り、昔ながらの「ただ待つ」戦略は、令和においては通用しづらくなっているのです。

では、デジタルの砂漠で干からびそうになっている意欲を、どうすれば救い出せるのでしょうか? そこで提案したいのが、ただ待つだけの「見守り」を卒業し、戦略的に環境を動かす「能動的な温め/焚き付け期」への移行です。

その具体的なメソッドを、3つの要素に分解して解説します。

子ども x 温め期のオンライン活用法:誰が、何を、どのように?

【誰?】結論:「親」は引いて、「ナナメの他人」に任せる。

まず、結論から。 思春期、かつ不登校の渦中にいる子どもにとって、親は「安心できる基地」であると同時に「干渉人」、または一番口出しされたくない「監視役」でもあります。

そんな親が「ほら、プログラミングやってみたら?」「外に出ようよ」と火をつけようとしても、それは「応援」ではなく「干渉」と受け取られることもあり、逆に心のシャッターを下ろしてしまうことが多いのです。

ここが親子関係の非常にフクザツなところでして……こと「混乱期」に「安全基地(セキュアベース、混乱期のベスト・プラクティス)」を提供できているほど、その後そこから引き出すのが、ある種の「矛盾(このまま家にいて良いって言ったじゃん!)」をはらんできます。

また人には「ホメオスタシス(恒常性、環境を一定の状態に保ち続けようとする傾向)」も生じますから、一次的にある種の「嫌われ役」を買って出ることになるわけです。これを「親」が引き受けるのは、正直少しコスト(とリスク)が高いと、個人的には思う次第です。

というわけで、改めて「北風と太陽」で言えば

(1)内部:保護者の役割は「黒衣(くろこ)」で太陽

なので、よほど親子の対話が順調である場合を除き、親が直接、積極的に火をつける必要はありません。 親の役目は、舞台裏で支える「黒衣」です。薪(環境)をそっと置いて、風よけ(安心)になり、「オアシス」であり続けること。まさに子どもにとっての「太陽」で、唯一無二の最重要です(これから「行動期」にかけても、その役割は必要です)

(2)外部:「ナナメの関係」から北風…ならぬ南風の誘い

では、誰が火をつけ誘い出すのか? それは、親でも先生でもない、利害関係のない「ナナメの関係(メンター)」です。 彼らの言うことなら、不思議と子どもは聞く耳を持ちます。

彼ら(※最近では「メンタルフレンド=心の友」とも言われます)の多くは同じ経験、または支援の知識があり、子どもの心の奥の寂しさや孤独をよくわかったうえで、上手に誘い、引き出していけます。たとえば同じ「ゲーム」でも、以下のようにアプローチが違います。

  • 内部(親):「ゲームばかりしてないでそろそろ…」(含み、緊張、対立)
  • 外部:「一緒にやろう?詳しいね!だったらこれできる?」(理解、誘因、共犯)

かつ、さらにオススメしたいのが「オンライン」の外部サービスです。こと「オフライン(リアル)」もよいのですが……比べて少し”目的”および”手段(プロセス)”が複雑です。オフラインの場合、「外に出る」という手段が、いまは少し大変な状態(たとえば「着替えて」「靴履いて」「移動する(人目につく)という変数のうち、どれか間違えれば計画は頓挫してしまいます)。また、たまさか「外に出よう」は成功したとして、”外に出ただけ”でその目的が達成されてしまいます(真の目的は、その先でした)。複雑で複合的な働きかけは、好まれません(下手すると”含み”があると思われてしまいます)。

なので「オンライン」です。移動も着替えもいりません(大体が「画面オフ」で参加できます)。目的に対して”ぽん”と機器を置くだけ。なんなら子どもの馴染みのスマホにセットしてしまえば、警戒心ゼロでより身近に置くことができます。

まずは「場所」を動かすのではなく、「心」を直接、シンプルに動かすこと。 そのための最短ルートとして、物理的なハードルがないオンラインは、今の時期にうってつけの選択肢なのです。

ボクが知る(体験した)限りで言えば、以下のような素晴らしいサービスがあります ※詳細はこのコラム最下段にまとめました

・「LITALICOワンダー」(オンラインのモノづくり教室)
・「SOZOWスクール」(オンラインフリースクール)
・「学研WILL学園」(フリースクール ※メタバース校あり)

こちらで紹介しているように、オフラインのフリースクールも十分魅力的なのですが、あえて「刺激的な人(&環境)」をセットしているところもあり(このため「元気になってから来てね!」と声を掛けるケースもあるのだとか)、こと「温め期」で言えば「柔らかく、温かな人(メンター、ピアサポーター)」が寄り添ってくれる方が、より安心してお任せできると思います。

”何”を温め/焚きつけるか?

時間の「消費」をブロックし、「暇」をストックする。

(1)退屈を「暇」として蓄積する 先ほどもお伝えした通り、ショート動画などの「受動的な暇つぶし」は、せっかくの意欲の燃料を消費(消化)してしまいます。 ここに関しては、ある程度の「デジタル・ダイエット(制限)」が必要かもしれません。 ただ、それは意地悪で取り上げるのではなく、「退屈な時間」を意図的に作り出し、それを「暇だなぁ、何かすることないかな」という「飢え(エネルギー)」に変えていくための工程です。

すでにデジタル利用について、何かしらの「ルール」があれば、まずはよし。なければ急いで、設定しましょう。このとき必ず「双方(親子)合意」で設定することを忘れずに(一方的に決めつけると決裂の原因になるほか、ある日ほぼ一方的に破棄されます)。

また子どもにある程度譲歩を迫る場合は、親も「暇つぶしのため本代は10,000円/月」など”代わりの暇つぶし”を提供できるようにすると効果的です。

スガヤ家の場合(※ムスコ小4-6の頃)、以下の通りでした。
・8-20時まで
・ワーク、手伝いなど必ず”やるべき”を終わらせてから
・ゲーム/スマホ併せて90分(土日は120分)
・ただしすべて”応相談”(その際必ず「事前申し立て」を行うこと、事後は認めない)

「みまもり Switch」「ファミリーリンク」などで自動設定も活用しましょう。そしてそれらは必ず「脱獄」されることもまた、覚悟しておきましょう(「性”弱”説」が基本、その際の「ペナルティ」も、事前に決めておければ平和的です)

(2)「暇(無目的)」に名前をつけ、貯める ただの「退屈」は苦痛ですが、そこに「名前」がつくと「暇」が「プロジェクト」に変わり、燃焼されていきます。 例えば一日中マイクラをやっているなら、それを「ゲーム時間」と呼ぶのをやめて、「建築(空間)デザインの研究期間」と呼んでみる。 動画を見ているなら「何か共通しているもの」を探し出してみる。このように、「好き/楽しい」ことの”解像度”を高めてみるのです。

たとえば「野球が好き」でも、「ボールを投げるのが好き」と「戦略を練るのが得意」では全然違いますね?なぜ、何が好きなのか?どうならば夢中になれるのか?その”見極め”がとても大切です。

親がその時間に「ポジティブなラベル(名前)」を貼ったその瞬間から、子どもの一見無目的な時間が「意味」に変わり、本人の中に「これを極めてみようかな」という小さな自尊心が芽生えます。

しかし、この「ラベル貼り」が意外と難しい。本人(子ども)には、まず無理だと思います(よく学校の「探究授業」で「自分の好きなテーマを決めましょう」などお題がありますが、あれは設定自体が実に難題です)。ここで親の出番!と言いたいところですが、2点において失敗例が多いです。
・「何が」「なぜ」好きなのか?とつい”問い詰め”てしまう
・つい将来から逆算して「役立ち」そうな対象を設定してしまう

これら対象は、あくまで冷静かつ継続的な「観察(without Judgement)」から結ばれやすいです。ここでオススメしたい方法が、「ジャーナリング」です(詳しくはこちらでそのやり方を紹介しています)。

この点で「プロ」と言えるのが、やはり学校”外”、フリースクールやオンライン教室のメンター(講師)たちです。彼らは実に巧みに、その子どもの日常から「キラリ光るもの」を見出し、次へ次へと誘導していけるのです。逆に学校だとどうしても「集団」「制限時間」があるなかで「競争」や「評価」が優先されてしまうので、仕組み上難しい場合が多いのです。

これにはある程度の経験と卓越した知見(メタ認知力)が必要であり、大学生より”もう少し上”の方に相談してみましょう(むしろ大学生のほうが自分に悩みがちだったり 笑)。

親がやる場合は、できるだけ”こっそり”やりましょう。手帳片手に、鼻息荒く「取材させて!」なんて寄りすぎると、ウザがられ追い払われてしまいます(ボクの苦い経験談です 笑)

”どのように”温めるか?

「外」から燃やさず、「中」から徐々に温める。

ある程度”対象”や”方向性”が見えてきたら、それを継続的に楽しめるような「仕掛け」を組んであげましょう。このとき、とても注意してほしいポイントがあります。

× 外発的動機づけ(外から燃やす) 「これをやったらお小遣いあげる」「学校に行かないならこれやりなさい」。 これは外から無理やり火をつけるやり方です。これだと、燃料(ご褒美や罰)がなくなった途端、すぐに火は消えてしまいます。

◎ 内発的動機づけ(中で燃やす) 目指すべきは、お子さん自身が「面白そう」「やってみたい」と感じる、持続可能な「内燃機関(エンジン)」を作ることです。

そのためには、最初から「大きな目標」を目指さないこと。もう少し言えば、「助長(支援)」も「リード」もせず、「一緒に夢中になる」「頼まれたら力を貸す」程度の自然な関わり方がベストです。

ボクも全然上手じゃなかったのですが(つい手も口も出してしまいますから 笑)、ムスコの不登校期間~今(中3)でも続いている趣味のうち、「将棋」はボクが”本気で指す(そしてある日から、全く敵わなくなる)”ことで、また「マンガ」は”本棚に常に他の(余計な)本も混ぜておく”ことで成立しました。

逆に本丸の「読書(マンガ以外)」は、”読め読め”言い過ぎて不成立だったこともあり(申し訳ない……)、願ったとおりに進まない(偶発性)に期待しつつ「数打ちゃ当たる」くらいの期待値で寄り添いましょう。

また「親とは全く別人」という前提も、常に忘れないように(つい”共通の趣味”を、押し付けたりしがちです)

そしてここでも結局、”外部サービス”を正しく頼ることが最適解となります(スイマセン、決して回し者ではないのですが……)。親はつい「将来のため」と先回りしがちですし、気負えばそのプレッシャーは敏感に伝わります。かつその取り組みが「三日坊主」で終わったら、ガッカリしてしまいますよね?しかしこの段階での挫折は、非常に”あるある”なのです(この”三日未満”の積み重ねが”何か別のもの”に変わっていきます)。

「今の『楽しい』を”ほんの少し、ごく絶妙に”広げてみる」くらいの温度感を上手に保てるのが、フリースクール/オンライン教室などです。小さな「好き」の周辺に、薪をくべ続けること。 誰かに強制されたわけではなく、自分で選んだ薪が燃え始めたとき、その炎は雨風(不登校の不安、人生の困難)にも負けない、力強い光となり未来の行く先を照らすでしょう。学校ではなかなか難しく、社会人になってからでは遅かったりします。

”せっかく”の不登校期間に、あえて回り道になっても子どもの「好き(キラリ光るもの)」を見つけてみませんか?ありがたいことに、令和の今日ではそのため「プロ」が、オンラインを通して”全国にスグ”駆けつけてくれるようになりました。

ボクが知る(体験した)限りで言えば……

・「LITALICOワンダー」(オンラインのモノづくり教室)
→ここのスタッフは「先生」というより、「面白い近所のお兄さん・お姉さん」に近い接し方をしてくれます。経験知が高く、距離のとり方(近づき、引き出し、足場かけ)も「プロの技」です。また彼らは子どもがゲーム好きなら「ゲームやめなさい」ではなく、「そのゲーム、自分で作ってみない?」と、子どもの興味(火種)をそのまま利用して、上手いタイミングでクリエイティブな方向へ誘導してくれました。

・「学研WILL学園」(フリースクール ※メタバース校あり)
→同じく「ピアサポート」の概念を基に、穏やかで優しい先生が生徒の気持ちを受け止め、理解し、寄り添った誘いかけをしてくれます(すごく気軽に「迎えに行きましょうか?!」など誘ってくれました。少し引きこもりがちな場合には、とても頼りになりますね)

もちろん子どもによっては「もっとグイグイ来てほしい!」というタイプもいるでしょうから、様々なサービスを貪欲に検討してみましょう。

スガヤのふせん ~オンラインスクーリングについて

さてオンラインの習い事と言えば、どうしても”将来のため”(もはや、親にかけられた呪いですよね 笑?)「学習(勉強)」もセットしたくなってしまうもの。

結論から言えば、もちろん”やってやれないことはない”ですが、この時期には「No!」とお伝えしたいです。理由はふたつ

  • そもそも焦らずとも、小学6年間は「2年」、中学3年間は「半年」くらいでキャッチアップ可能であり(焦らずとも良い)
  • ただしその成立条件は「本人次第(本人が勉強したいと思う)」こと

だからです。なので仮に、子ども本人が「不登校期間を”テコ”にして、これまで学習の遅れを取り戻したい!」と意気込むならば、それは”そのとき”ということです。

スガヤ家では、子どもの「学校には行きたくないが、遅れたくもない」という希望により「オンライン家庭教師」をお願いしました。そのとき「先生」には、子どもの気持ちの機微がよくわかる(上記の「メンター」のような)方にお願いし、ウラでは「勉強はさせなくてよいから、たまに一緒にゲームをするなど”遊んで””話を聞いて”あげてほしい」とお願いしていました(結局”それだけ”になっちゃったようでしたが笑、結果オーライです)

それより”せっかく”の不登校期間を利用するなら、子どもにピッタリの”学び方”を一緒に探し出してみませんか?ここではごく端的にお伝えするにとどめますが、人間は誰しも8つの独立した知能(MI:多重知能理論:Theory of Multiple Intelligences)を持っており、その強みや組み合わせは個人によって異なるのです(詳しくは「ガードナー MIモデル」などで調べてみてください)

さらに学習学提唱者の本間正人先生がこの理論を応用し、独自の「徳知体感」モデルを提唱されています。(同じく割愛してしまいますが)その知能は「座学的な左脳的要素」や「体感的な要素」…もちょっと大胆に言えば「目から」「耳から」どこから学ぶか?どれが最適か?も人によって”全然違う”ということなのですね ※諸説あります。たとえばムスコは「ビジュアルラーナー(目から学ぶ)」で、ボクは「オーディオラーナー」でした。(詳しくは『一〇〇年学習時代』 はじめての「学習学」的生き方入門/本間正人にて ※近日中に「ブックガイド」に追加します)

こういうことが丁寧に観察できたり、様々試してみられたのが、スガヤ家の不登校期間でした。「学び(勉強)」と言っても、学校だけに限定されたものではなく、また一直線で連続的なものではありません。そもそも「遊び」と「学び」は”不可分”だという説もあるくらいです……などなど(なにせ3年分の蓄積がありますから、話すとつい長くなってしまいます 笑)

”せっかく”学校から一時的に解放されているわけですから、どうか「スクールフリー」な実験的な学びを楽しめる方が、ひとりでも増えますように

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