【不登校ブックガイド】脱学校の社会:学校は「学習と社会参加を独占・管理する制度」なのか?制度に依存しない、自律的な学びへの転換点

整然と並んだ本棚と浮かび上がるグラフ:不登校に関する教育データと客観的な構造理解のイメージ

子どもが学校に行かなくなった時、多くの方は「社会的なレールから外れてしまった」という不安を感じます。しかし、そもそもその「レール(学校制度)」自体が、学びの本質から乖離していたとしたらどうでしょうか?

本書『脱学校の社会』は、オーストリアの思想家イヴァン・イリイチによって1970年に発表されました。半世紀以上前の書物ですが、インターネット社会や多様な学びが広がる現代において、その内容は驚くほど予言的です。

イリイチは、学校を単なる教育機関ではなく、「学習と社会参加を独占・管理する制度」として批判的に分析しました。
本書を紐解くことは、不登校を「脱落」ではなく、「制度に依存しない、自律的な学びへの転換点」
として捉え直すための、強力な理論的補助線となります。

目次

【Keyword 1】 「学校化」と「隠れたカリキュラム」
~制度が私たちに刷り込むもの~

イリイチの中心的な主張の一つに、社会の「学校化(Schooling)」があります。
これは、教育に限らず、あらゆる価値が「制度」を通さないと得られないと思い込まされている状態を指します。

■ 「過程」と「目的」の混同

イリイチは、学校教育の最大の問題点は、カリキュラムの中身(国語や算数)ではなく、学校という仕組みそのものが教える「隠れたカリキュラム」にあると指摘します。

「学校に入れるのは、彼らに目的を実現する過程と目的とを混同させるためである。(中略)生徒は教授されることと学習することとを混同するようになり、同じように、進級することはそれだけ教育を受けたこと、免状をもらえばそれだけ能力があること(中略)だと取り違えるようになる。」
(第1章より)

つまり、「授業を受けた(過程)」=「学んだ(目的)」と錯覚させることで、自分の力で学ぶ能力を奪い、専門家や制度がないと何もできない「心理的不能」の状態を作り出しているというのです。

■ 制度への依存からの脱却

不登校の背景にある「何のために学校へ行くのか?」という問いは、この「隠れたカリキュラム(制度への無批判な従属)」に対する、子どもたちの本質的な疑問であるとも読み取れます。

【Keyword 2】 「学習のネットワーク(Learning Web)」
~インターネット社会の予言~

では、学校という制度に頼らず、どうやって学べばよいのでしょうか?
イリイチが50年前に提唱した対案が、「学習のネットワーク(Learning Web)」です。

■ 「学び」を制度から解放する

彼は、誰もが自由にアクセスでき、学びたい人と教えたい人を結びつける「ネットワーク」があれば、学校という囲い込みは不要だと説きました。
具体的には以下の4つのネットワークを挙げています。

  • 教育用オブジェクトへのアクセス: 図書館や実験室、あるいは街中の道具に自由に触れられること。
  • 技能交換: 技能を持つ人が、それを学びたい人に教えるモデル。
  • 仲間探し: 同じ関心を持つ者同士が出会うコミュニケーション・ネットワーク。
  • 教育者への照会: 職業的な教育者ではなく、知恵を持つ「先達」にアクセスできること。

■ 現代における実践

この構想は、まさに現代のインターネットやSNS、オープンソースコミュニティそのものです。
プログラミングや創作活動など、学校外で専門的なスキルを習得する子どもたちは、イリイチが夢見た「学習のネットワーク」を、現代の技術で実践していると言えます。

【Keyword 3】 「エピメテウス的人間」
~「計画」ではなく「希望」を持って生きる~

イリイチは、現代人をギリシャ神話のプロメテウス(先見の明・計画)に例え、未来を操作・管理しようとする姿勢を批判しました。
対して彼が理想としたのが、弟の「エピメテウス(後知恵)」の生き方です。

  • プロメテウス的(制度の論理): 期待(Expectation)に基づき、計画通りに結果を出そうとする。予測不能な事態を排除する。
  • エピメテウス的(自律の論理): 希望(Hope)を持ち、他者との予期せぬ出会いや、偶然の驚きを受け入れる。

不登校の子どもの将来は見通しにくいものです。しかし、それを「計画通りにいかない失敗」と捉えるのではなく、「何が起こるかわからない希望」として捉え直すこと。
それが、イリイチが説く「人間らしい生き方(コンヴィヴィアリティ)」への入り口です。


【ご紹介】 当サイトの「タイプ診断」について

当サイトで公開している「学び方/居場所ルート診断(ダークホース診断)」は、このイリイチの「脱学校」思想を、現代の視点で再解釈し、設計のベースとしています。

本診断では、不登校からの進路を大きく2つに分類しています。

  • 「再登校ルート」: 制度(学校)とうまく折り合いをつける適応力を重視。
  • 「独自開拓ルート」: 制度に頼らず、「学習のネットワーク」を駆使して個人の資質を伸ばす道を重視。

本書『脱学校の社会』は、特に後者の「独自開拓ルート」を選んだ方、あるいは「学校以外の選択肢」を模索している方にとって、その選択が間違いではないことを裏付ける理論的支柱となるでしょう。


この本について(相対評価)

  • 書籍タイトル: 脱学校の社会
  • 著者: イヴァン・イリイチ
  • 出版社: 東京創元社 ほか

・独自の視点
「学校に行かないこと」を問題視するのではなく、「学校という制度そのもの」を問題視するコペルニクス的転回を与えてくれます。難解な表現も多いですが、現代の教育課題の根幹を突く洞察に満ちています。

・評価軸の傾向

理論(抽象) ★★★★★ 方法(具体)
ドライ(客観) ★★★★★ ウェット(感情)
今すぐ(短期) ☆☆☆★★ じっくり(長期)
社会変革目線 ★★★★★ 家庭内目線

スガヤのふせん ~個人的ブックマーク

「彼らを学校に入れるのは、彼らに目的を実現する過程と目的とを混同させるためである。(中略)生徒は教授されることと学習することとを混同するようになり、同じように、進級することはそれだけ教育を受けたこと、免状をもらえばそれだけ能力があること(中略)だと取り違えるようになる。」
(『脱学校の社会』第1章より)

かつてボクが、ある大手企業で働いていた時のことです。
ネット上では皮肉を込めて「JTC(Japanese Traditional Company)」と呼ばれるような、伝統的で、年功序列で、とにかくルールの多い「THE・日本企業」でした。

そこで強烈な違和感を感じたのは、高学歴で優秀なはずの大人たちが、「手段」と「目的」を完全に取り違えていたことでした。
「会議に出席すること」や「夜遅くまで残業すること」。
本来それは成果を出すための「手段(過程)」に過ぎないはずです。しかし彼らは、その過程をこなすこと自体を「仕事(目的)」だと信じ込み、中身のない儀式に心血を注いでいました。

イリイチは50年前にこう指摘しています。
「あくせく働くこと自体が生産活動であるかのように誤解してしまう」と。

なぜ、優秀な彼らがそうなってしまったのか?
それは彼らが無能だからではありません。学校というシステムの中で、「学習のほとんどは教えられたことの結果だとする幻想」を、あまりにも優秀にインストールされてしまったからです。
「言われた通りのカリキュラムをこなせば(過程)、能力が証明される(目的)」という学校的価値観の成れの果てが、あのオフィスの光景だったのかもしれません。

人気漫画『鬼滅の刃』の冒頭に、「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」という有名な台詞があります。

私たちは、「学び」という人生の根幹に関わる権利を、あまりにも無防備に「学校」という他人に委ねすぎてはいないでしょうか。

不登校は、子どもがその「生殺与奪の権(学ぶ権利)」を、自分の手に取り戻そうとする無意識の闘争なのかもしれません。
学校に行かないことは、決して「脱落」ではありません。
それは、「誰かに与えられる学び」から卒業し、「自分で選び取る学び」へとシフトする、新しいゲームの始まりなのです。

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