不登校ブックガイド|教育格差――階層・地域・学歴:データが示す「学校神話」の正体と、親にできる「文化」の贈り物

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『教育格差』松岡 亮二|筑摩書房 筑摩書房『教育格差』の書誌情報

・書籍タイトル: 教育格差――階層・地域・学歴
・著者: 松岡 亮二
・出版社: 筑摩書房 (ちくま新書)
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・目次
はじめに 第1章 終わらない教育格差 第2章 幼児教育――目に見えにくい格差のはじまり 第3章 小学校――不十分な格差縮小機能 第4章 中学校――「選抜」前夜の教育格差 第5章 高校――間接的に「生まれ」で隔離する制度 第6章 凡庸な教育格差社会――国際比較で浮かび上がる日本の特徴 第7章 わたしたちはどのような社会を生きたいのか おわりに

目次

努力だけでは越えられない壁?「生まれ」が左右する学校教育の限界

「学校に行けば、誰にでも平等にチャンスがある」「頑張れば夢は叶う」。そんな日本の教育神話を、膨大なデータ分析によって冷静に、しかし鋭く解体したのが本書です。 著者の松岡亮二氏は、教育社会学の気鋭の研究者。本書では、戦後から現在に至るまで、日本社会には厳然として「生まれ(親の学歴や所得、居住地域)」による教育格差が存在し続けていることを明らかにしています。 幼児期からの「育てられ方」の違い、公立学校であっても存在する学校間格差、そして高校入試というシステムがいかに「生まれ」による選別を固定化しているか。 読めば読むほど、学校というシステムが決して完全無欠な公平な場所ではないことが浮き彫りになります。しかし、それは裏を返せば、学校に行けないことだけで将来が閉ざされるわけではない、という逆説的な希望にもつながる事実です。学校というレールに乗ることだけが正解ではないことを、データという客観的な視点から教えてくれます。

たとえば

・親の学歴によって子どもの15年間の世帯年収に「約3700万円の差」が生まれるという推計や、公立学校であっても地域によって「塾に通うのが当たり前(80%以上)」の場所とそうでない場所がある
・同じ「公立小学校」であっても、将来大学に行くことを期待されている子が「ほぼ100%の学校」もあれば、「20%台の学校」もある
・3000万円を超える家庭経済の格差や、住む地域によって「勉強・進学」への圧力が全く異なる実態

…など、学校ごとにこれほど「当たり前(規範)」が異なるという事実は、「うちの子が学校に合わない」のではなく、単にその学校の「空気(隠れたカリキュラム)」と合わなかっただけかもしれない、という新たな視点を与えてくれます。

ポイント: 日本は「緩やかな身分社会」。学校任せにしない「家庭」の力

本書の核心は、日本が「機会の平等」が達成された社会ではなく、出身家庭の社会経済的地位(SES)によって人生の選択肢が大きく制限される「緩やかな身分社会」であるという指摘にあります。
・格差は入学前から始まっている: 「意図的養育」と呼ばれる、親が子供の生活を構造化し、言語能力や非認知能力を高める関わりが、学力格差の源泉となっています。これは学校教育が始まる前から差がついていることを意味します。
・学校は格差を埋めきれない: 義務教育は平等を志向していますが、データを見ると、学校に通うことで家庭環境による格差が縮小するわけではなく、むしろ学年が上がるにつれて維持・拡大する傾向すらあります。
・「見えない」カリキュラム: 学校や地域によって「大学に行くのが当たり前」という空気感(規範)が異なります。子供たちは無意識のうちにその「空気」を吸い込み、自分の進路を「身の程」として内面化していきます。

この本について

・独自の視点
感情論や個人の成功体験談(「私はこうして合格した」など)を排し、徹底的に大規模社会調査データに基づいて論じている点が最大の特徴です。「最近格差が広がった」という通説に対し、「いや、昔から格差はずっとありましたよ」と冷静に突きつける姿勢は、過度な「昔はよかった」論や、不登校に対する「甘え」論といった精神論を相対化するのに役立ちます。

・相対評価
・評価軸の傾向 ・理論(抽象) ⇔ 方法(具体): 理論とデータ(実証)のバランス型。具体的な子育てのハウツー本ではなく、社会構造を理解するための本です。
・ドライ(客観) ⇔ ウェット(感情): 極めてドライ(客観)。著者は「冷徹な現状把握」を信条としており、温かい励ましなどはありませんが、事実の重みがあります。
・今すぐ(短期) ⇔ じっくり(長期): じっくり(長期)。社会の仕組みを知ることで、親としての長期的な視座を養います。 ・当事者目線 ⇔ 支援者目線: 研究者(マクロ)目線。個々の家庭の事情ではなく、社会全体の傾向を分析しています。
・ポジティブ(肯定的) ⇔ ニュートラル(客観的): ニュートラル。現実は厳しいですが、それを知ることからしか対策は始まらないというスタンスです。
・発達特性との関連度: 1。個人の特性よりも、家庭環境や社会構造に焦点を当てています。

まとめ: 「学校」という幻想から覚め、家庭でできる「戦略」を練る

本書は決して明るい未来を約束する本ではありません。しかし、不登校の親御さんにとっては、「学校に行けていないこと」への過剰な不安を和らげる「解毒剤」になり得ます。 なぜなら、「学校に行けばすべて解決する」わけでも、「学校が公平に能力を伸ばしてくれる」わけでもないことが、データで示されているからです。 学校システムが万能ではないと知れば、私たち親は「では、家庭で何ができるか?」と視点を切り替えることができます。学校という枠組みにとらわれず、家庭での対話、読書、文化的な体験を通じて、子供の「自立」に必要な力を育むこと。それが、格差社会を生き抜くための、確かな処方箋になるはずです。

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スガヤのふせん ~個人的ブックマーク

本書の中で特に印象的なのは、「意図的養育」と「自然な成長」という子育てスタイルの対比です。 高学歴・高所得層の親は、子供の生活を管理し、習い事をさせ、大人と対等に議論するよう促す「意図的養育」を行う傾向があります。一方、そうでない層は、子供の自主性に任せる「自然な成長」をよしとする傾向がある、と。 学校教育は、前者の「意図的養育」で育まれた能力(語彙力や、大人への交渉力など)を高く評価するシステムになっています。 ここからボクが読み取ったのは、不登校であっても、この「意図的養育」のエッセンスは家庭で実践できるということです。 「学校に行かない=学びが止まる」ではありません。 親が意識的に子供と対話し、本を読み聞かせ、美術館や博物館に連れて行く。あるいは、一緒にニュースを見て議論する。そういった家庭内の「文化的な土壌」を耕すことこそが、学校の出席日数以上に、将来の子供の力になるのではないでしょうか。

「生まれ」による格差は残酷な現実ですが、それは「学校に行かなければ終わり」という意味ではありません。むしろ、学校という画一的なシステムから離れたからこそ、親子の対話や文化的な体験に時間を使えるというメリットもあるはずです。 「学校に行かせること」にエネルギーを使い果たすのではなく、そのエネルギーを「家庭で文化資本(知恵や教養)を渡すこと」に注ぐ。 それが、データが教えてくれる、賢い親の戦略なのかもしれません。

社会は厳しい。だからこそ、家庭を一番の「学び舎」にしていきましょう。

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