取材日:2025.12.19
語り手:のびーくフリースクール代表 東 美希 氏
取材先データ:のびーくフリースクール
| 運営 | のびーくフリースクール |
|---|---|
| 設立 | 2018年 |
| 特徴 | 自分を知る、対話と合意形成、育ち直し |
| キーワード | 向き合う、創造的C案、拒否権の承認 |
| URL | 公式サイトへ |
不登校支援の現場で、金科玉条のように語られる言葉があります。「寄り添う」です。
傷ついた子供の心に寄り添い、待ち、回復を願う。それはもちろん間違いではありません。しかし、それだけで、子供たちは本当に自分の足で歩き出せるのでしょうか?
「寄り添う、だけでは物足りないんです」
そう語るのは、のびーくフリースクール代表の東(あずま)氏です。
東氏の語り口は非常に穏やかですが、その言葉の端々には、子供を一人の人間として尊重するからこそ生まれる鋭い教育哲学と、確固たる自信が宿っていました。
1. 原点は「なぜ?」が許されなかった中学時代
東氏が教育に疑問を抱いたのは、自身の中学生時代に遡ります。
「なぜ靴下は白でなければならないのか」「なぜ考えることを求められないのか」。校則や管理教育への違和感を抱きながらも、学級委員やバスケ部のキャプテン、さらにはバンドのリーダー(担当はドラム!)として活動し、学校生活は充実していたそうです。しかし、その内側で「考えることを放棄させようとする圧力」への疑問は膨らみ続けていたといいます。
「私の時代はまだ、先生の目を盗んで悪いことをする『抜け道』がありました。でも今の子たちは、その抜け道さえも塞がれているように感じます」
現代の子どもたちが抱える苦しさ。それは単に学校が厳しいからだけではありません。
「親や大人が先回りしてレールを敷いてしまう。不登校になった後の回復のルートさえもお膳立てされてしまう。そこにあるのは、強烈な『自分自身が不在の感覚』です」
悪いことさえできないほどエネルギーが枯渇し、自分の人生なのに自分がいない。そんな子どもたちの「自分」を取り戻す場所を作りたい。
アメリカのフリースクール視察や、野外教育、教育専門誌の記者やリーダーシップ教育の現場を経て、東氏は『のびーく』を立ち上げました。
2. 「寄り添う」ではなく「向き合う」
そんな東氏だからこそ、子供に対する接し方も、ご自身の経験に裏打ちされた確信的なものです。多くの支援者が「受容」や「共感」を掲げる中で、彼女が選んだキーワードは「向き合う」でした。
信頼関係には「摩擦」が必要だ
一般的に「寄り添う」という姿勢には、どこか大人が子供の機嫌を取り、庇護するような、フラットではない響きが含まれることがあります。東氏はその関係性を「本当の信頼ではない」と否定します。
「子供に批判される自分でありたいし、こちらも言いたいことを言う。時には『今はそっとしておく』という判断も含め、その子を全人的に観察(見取る)し、正面から対峙する。それが『向き合う』ということです」
従う関係ではなく、対面して互いに意見を言い合う関係。そこには当然、意見の食い違いや摩擦も生まれます。
しかし、優しさだけでなく、摩擦(相互主張)を経てこそ、本当の信頼関係が結ばれるのだと東氏は語ります。
タブーとされがちな「原因」の特定にも踏み込む
この「向き合う」姿勢は、具体的なプログラムにも表れています。その一つが、あえて「不登校の原因」を振り返ることです。
「蓋をするのではなく、自分を知るための材料にする」。辛い過去をアンタッチャブルなものにせず、乗り越える力を持つ一人の人間として信じているからこその実践です。
3. 最初の難関は「拒否権」の承認
ここに来ればすぐに自由になれるかと言えば、そうではありません。入会した子供たちが最初に直面する壁、それは「対話」の前段階にある泥臭いプロセス、「嫌なことを嫌と言う」ことです。
「新しく入ってきた子に『嫌なことは言ってね』と伝えても、最初は誰も言えません。学校や家庭で『空気を読むこと』を内面化しすぎて、自分の『嫌だ』という感覚すら麻痺させてしまっているのです」
のびーくでは、まずこの「嫌だ」という感情の蓋を外すことから始めます。
これは単なる「わがまま」ではありません。自分には「拒否権がある」という事実を知り、それが周囲に承認されること。それがあって初めて、そこは彼らにとっての安全基地となります。
「自分にも嫌なことがあるように、あの子にも嫌なことがある」。
この相互承認があって初めて、次のステップである本当の対話が可能になるのです。
4. 「自由」はちっとも楽じゃない
自我を取り戻した後に待っているのは、「自由の厳しさ」です。のびーくのブログにある『自由ってちっとも楽じゃない』という言葉通り、ここからが本当の学びの始まりです。
「妥協」ではなく「創造」としてのC案
「意見が割れると、新しい子はすぐに『もうスタッフが決めてよ(AかBでいいよ)』と言います。誰かに決めてもらう方が楽だと知っているからです」
しかし、のびーくのスタッフは安易に答えを出しません。見せかけの合意も、足して2で割るような妥協も許しません。目指すのは、全員が心から納得できる「新しい創造としての第3の案(C案)」を見つけ出すことです。
「本当の納得が出るまで、とことん粘ります。これは非常にしんどいプロセスですが、それを経て生まれた『C案』は、誰かの我慢の上には成り立っていません」
面倒な対話から逃げずに、自分たちの環境を自分たちで創り上げる。その苦労の先にある喜びを知ることこそが、本当の「自由」なのです。
5. 「リアルな大人」との出会い
学校という閉じた世界しか知らない子供たちにとって、世界は「正解か間違いか」の二元論になりがちです。だからこそ東氏は、スクールに「多様な大人」を招き入れます。
ラーメン屋店主から、平和を願うロシアの留学生、視覚障害を持つ方や海洋学者まで。教科書には載っていない生き方をする大人たち。
「世の中にはこんな人がいて、それでも楽しく生きている」
その事実を目の当たりにすることこそが、凝り固まった「べき論」を溶かす一番の特効薬なのでしょう。
当サイト基準軸からみる「のびーく」
1. 学校復帰について
どっちでもいい(5)
戻るも戻らないも、本質的な問題ではありません。「本人がどうしたいか」が決まれば、結果はどちらでも構わないというフラットな姿勢です。
2. 学習意欲への着火
まずは「自分」を取り戻す
不登校の子ほど「勉強しなければ」という呪縛に囚われています。学習の前に、まずは「嫌だ」と言える感覚や、自分自身の輪郭を取り戻すプロセスを最優先します。
3. デジタル vs リアル
「リアル」重視
限られた時間であれば、オンラインよりもオフラインでの直接的な関わりや体験を大切にします。
4. スタッフの役割
「向き合う」対等な他者
優しく寄り添うだけではありません。一人の人間として対等に向き合い、時には摩擦も恐れずに意見を交わし合う関係を築きます。
5. カリキュラム
「C案」が出るまで粘る
用意されたプログラムをこなすのではなく、子供たちが対話を通じて「納得解(C案)」を生み出すプロセスそのものをカリキュラムとして重視します。
6. 家庭との関わり
育ち直し
親がついレールを敷いてしまわないよう、保護者とも対話を重ねます。不信感や自己否定でねじれてしまった関係をほぐし、自分や周囲への信頼を取り戻すプロセスを支えます。
【編集部ピックアップ】代表のおすすめ本
『(現在選定中・後日追記)』
※教育や子育てに悩む保護者の方へ、東代表からの推薦図書を掲載予定。
編集長スガヤの取材後記
「子供の主体性」という覚悟
「子供の主体性」という言葉は使い古されていますが、それを実践することがいかに難しいか。東さんのお話は、大人の側の覚悟を問うものでした。
大人が正解を用意せず、妥協ではない「C案」が出るまでじっと待つ。また、あえて辛い過去や「嫌なこと」とも向き合わせる。
「コスパ」の悪い道を行く
「寄り添う」ことは、ある意味で楽です。相手を傷つけず、自分も傷つかない安全圏にいられるからです。しかし「向き合う」ことは、時に批判され、衝突するリスクを負います。とても「コスパの良い」話などではありません。
それでも東氏は、安全な「支援者」の仮面を脱ぎ捨て、たとえ時間がかかり遠回りになろうとも、一人の人間の”リアル”として子供たちの前に立ち続けています。
「子供たちは、本気で生きている大人に出会うと、目が変わります」
この言葉に、すべてが集約されている気がしました。
「インチキおじさん」としての挑戦
「自由ってちっとも楽じゃない」。それはボク自身もそのように生きてみて痛感したリアルで、代表の言う「せっかくレールを外れてみたのだから」というそのルートは、まさに悪路だらけの「けものみち」です。
「子どもがなかなか自主的な感覚に目覚めない」ことに苦労していた代表が、あえてモノでなく「ヒト」からそのリアルを観取させようというのは、実に巧妙にして効率的な作戦なのかもしれません。
取材の最後に、「私も7回転職のミュージシャン(兼マーケッター)として、”インチキおじさん”枠で呼んでください」と立候補してみました。東氏は「大歓迎!」と笑顔で応えてくれました(笑)。
本当にボクが子どもたちの目線に耐えられるか?はよく考えてみるのですが…我こそは「自由人」であると胸を張れる諸兄は、ぜひ以下「採用情報」から登録してみるとよいでしょう。
no-mark.jp 編集長:スガヤ タツオ











