不登校ブックガイド|学校の戦後史:今の「学校」も「教育」も「教師」も、不変にして「絶対的な権威」ではなかった

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学校の戦後史/木村 元|岩波新書 - 岩波書店 六三三制改革,不就学,教師の専門性など数々の論点の背景を,制度と理念の70年の変遷から問い直す. 木村 元 著

・書籍タイトル: 学校の戦後史
・著者: 木村元
・出版社: 岩波書店(岩波新書)
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目次

「学校」は不変ではなく、歴史の産物である

「学校に行かないことは、人生のレールから外れることだ」。そう感じて不安になるのは、私たちが「学校」というシステムを、あたかも太古から変わらない絶対的なものとして捉えているからかもしれません。

本書はそんな思い込みを根底から覆します。著者は、戦後日本の学校教育が、その時々の政治や経済の要請によって、いかに都合よく書き換えられ、変容してきたかを、冷徹な歴史的ファクトとして提示します。 現在の学校が抱える「息苦しさ」や「不登校の増加」は、個人の問題ではなく、戦後教育が積み重ねてきた「管理と選別」の歴史的必然であることを、本書は教えてくれます。

ポイント: 「民主教育」の夢と「管理教育」の現実

本書の核心は、戦後出発した「民主教育」の理想が、高度経済成長とともに「国家のための人材育成」へと変質し、その過程で子どもたちが「管理」の対象へと追いやられていった歴史を解き明かす点にあります。

理想と現実の乖離: 1947年の教育基本法制定当初、学校は「個人の完成」を目指す民主的な場として構想されました。しかし、1950年代以降の「逆コース」と呼ばれる政治的な動きの中で、教育は国家の統制下に戻され、効率的な労働力を生産する工場のような機能を求められるようになりました。

・選別と排除のメカニズム: 高度経済成長期には「能力主義」が導入され、テストの点数による選別が正当化されました。これにより、学校は「学びの場」から「競争と評価の場」へと変貌し、その競争に乗れない子どもたちは「落ちこぼれ」として排除される構造が完成しました。

・管理教育の強化: 1970年代以降の校内暴力や非行に対し、学校は「管理教育」の徹底で対抗しました。細かすぎる校則、内申書による支配、体罰の横行。これらは子どもの自律性を奪い、結果として現在の「いじめ」や「不登校」という、内向的な形での抵抗を生み出す土壌となりました。

この本について

・独自の視点

書籍の強みは、不登校やいじめといった個別の現象を、戦後70年の歴史というマクロな視点から構造的に分析している点です。

・相対評価

・評価軸の傾向(ポイント形式) 理論(抽象) ⇔ 方法(具体): 理論(抽象)に特化。教育行政や法改正の歴史的経緯を詳細に分析します。
・ドライ(客観) ⇔ ウェット(感情): ドライ(客観)。歴史的事実に基づき、淡々と教育システムの変遷を記述します。
・今すぐ(短期) ⇔ じっくり(長期): 長期に特化。現在の問題を、戦後史という長い時間軸の中で捉え直します。
・当事者目線 ⇔ 支援者目線: 支援者目線に特化。教育関係者や保護者が、学校というシステムを客観視するための視点を提供します。
・ポジティブ(肯定的) ⇔ ニュートラル(客観的): ニュートラル。教育の現状に対して批判的な視座を保ち、安易な解決策を提示しません。
・発達特性との関連度: 1。個別の特性ではなく、システムが子どもをどう扱ってきたかという制度論に焦点を当てています。

まとめ: 学校を「相対化」し、システムから自由になる

本書は、保護者が抱える「学校に行かせなければ」という強迫観念に対し、強力な解毒剤となります。 現在の学校システムは、決して完成された理想形ではなく、時代の要請によって歪められた「歴史の産物」に過ぎません。そのシステムに我が子が適応できないとしても、それは我が子が悪いのではなく、システムの側に構造的な無理があるからかもしれないのです。 この歴史的視点を持つことで、親は学校を「絶対的な権威」から「利用すべき一つの選択肢」へと相対化し、システムに依存しない、真に自律した学びの道を、子どもと共に模索する勇気を持つことができるでしょう。

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スガヤのふせん ~個人的ブックマーク

「教育」を語らせれば”人の数”ほどあると言われますが、「学校」も(そして「不登校」も)また歴史により社会により様々姿を変えてきたわけです。なので「昔はこうだった」「学校とは/授業とは/教師とは…」など、こと年長者の指摘ほど眉につばして聞いたほうがよいかもしれません。

なかでボクがブックマークしたのは以下のパラダイムでした。

脱学校論の提唱
…1970年代には、学校の解体を唱える脱学校論が展開した。その
先駆けは1920年代の学校死滅論にまで遡るが、直接には1964年のP・グッドマンの
『不就学のすすめ』(邦訳、1979年)などであり、日本においては1970年代以降に本格的に展開する。なかでもI・イリッチは、1971年の著書で「脱学校社会(deschoolong society)」を提唱し、以下のような指摘を行った。
「多くの生徒たち、とくに貧困な生徒たちは、学校が彼らに対してどういう働きをするかを直感的に見ぬいている。彼らを学校にいれるのは、彼らに目的を実現する過程と目的とを混同させるためである。過程と目的の区別があいまいになると、新しい論理がとられる。手をかければかけるほど、よい結果が得られるとか、段階的に増やしていけばいつか成功するとかいった論理である。このような論理で「学校化」されると、生徒は教授されることと学習することとを混同するようになる」
…(中略)…80年代に至って学校というシステムの整備が必ずしも人びとに幸せをもたらすものではないというような、学校の相対化がこれによって本格的になされたのである。(P.130より抜粋)

学校の「システム」についてはすでに日本でも、1980年代には議論の対象になっていたわけです。しかしその後忘れられたかそれ以上の事件が起こったか(そういえば!)、結局有耶無耶になってしまったのですね。

他にも学校の「焼き討ち事件」から始まり、「道徳」の在り方や学力テスト、そして「ゆとり教育」そして「不就学の権利」などが、なぜ議論が巻き起こりそして…同じく有耶無耶に消えていったか、ということが時系列でわかりやすくまとめられています。

メタ認知すれば「学校も教育も決して”不動”にして”当たり前”」のものではない」ということと、常に「騒ぎになるけど根本は何も変わらない」という…平和なんだか無責任なんだか忘れっぽいのか、そんな日本社会の姿がうっすら見えてきました。

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