ブックガイド|学校と日本社会と「休むこと」:「休まない呪い」を解体する社会学

掲載情報

書籍タイトル: 学校と日本社会と「休むこと」――「不登校問題」から「働き方改革」まで
著者: 保坂亨
出版社: 東京大学出版会
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目次

不登校を生み出す社会的な”呪い”とは?

子どもから「なぜ、休んではいけないの?」と聞かれたら…なんと答えますか?

あなたが不登校の子どもを見て感じる「焦り」や「罪悪感」は、本当にあなた個人の問題でしょうか?

それとも、過労死から「働き方改革」まで、誰もが「休むこと」に罪悪感を抱くことを強いる日本社会の構造的欠陥を、子どもが敏感に感じ取り、代わりに体現しているのではないでしょうか?

この本は、不登校をめぐる議論の核心を、「休んではいけないという社会的呪い」へと位置づけます。この「呪い」がなければ、そもそも「不登校」という事象は社会的な問題として存在しなくなるのではないか、という根源的な問いを投げかけるのです。

私たちは、この本を通じて、親の「私の育て方が悪かったのではないか」という自責の念から解放されることが可能です。問題は、子どもや家庭にあるのではなく、社会全体が共有する「休むことへのネガティブな価値観」にあると客観視すること。これこそが、子どもを責めずに、自立を信じるための哲学的な土台となります。

2. 本書の核心:構造的病理の解剖

「皆勤賞」の裏側にあるダブルバインド

本書は、日本社会の過剰な勤勉性を批判的に分析します。学校に存在する「皆勤賞」という制度は、単なる表彰制度ではありません。これは、社会に出るための「休まない練習(価値観の刷り込み)」にほかならないと解釈できます。

学校は表面上「みんな違ってみんないい」と個性を尊重する言説を掲げつつ、裏側では「皆と同じように、同じくらい働く」という、同調圧力の「呪い」をかけています。子どもたちは、この相反するメッセージによる「ダブルバインド」に追い込まれ、その違和感を不登校という形で表明していると解釈できます。

教師の長時間労働と構造的加担

教師の「精神疾患」による休職や教員不足が深刻化している現状は、生徒の不登校問題に悪影響を及ぼしています。教師自身が構造的な問題により長時間労働を強いられているため、生徒一人ひとりの繊細なSOSに目配りする余裕がありません。その結果、教師自身が無意識的であるにせよ、生徒を「休ませない」という社会の構造に加担してしまっていると解釈できます。

3. 独自の観点:親の「動く心」というアンチテーゼ

「休むこと」の権利の回復と小さな反抗

著者は、不登校問題を克服するために、論理的また実証的に「休むこと」の権利と価値を社会全体で回復する必要がある、と示唆しています。親や教師は、この回復を家庭や学校といった「小さなシステム」の中で実践できます。

この本の特徴

相対評価

  • 理論(抽象) ⇔ 方法(具体): 理論に極めて特化(社会学、歴史的変遷、構造分析が中心)。
  • ドライ(客観) ⇔ ウェット(感情): ドライに極めて特化(統計、政策、法制度の分析が中心)。
  • 今すぐ(短期) ⇔ じっくり(長期): じっくりに特化(日本社会の「休むこと」に関する意識の長期的な変遷が主題)。
  • 当事者目線 ⇔ 支援者目線: 支援者/研究者目線に特化(社会構造と教育制度への批判が中心)。
  • ポジティブ(肯定的) ⇔ ニュートラル(客観的): ニュートラル/批判的(日本社会の「過剰な勤勉性」という病理を客観視)。
  • 発達特性との関連度: なし(個人の特性よりも、社会制度の欠陥に焦点を当てる)。

まとめ

不登校は、子ども個人だけの問題ではなく、「休んではいけない」という社会の呪いが生み出した構造的な問題です。親がこの書籍を読み、社会構造を客観視することで、初めて「子どもは悪くない」という確信を持つことができます。

子どもの「休む」という行動は、社会全体に向けた静かなアンチテーゼです。親は、この行動を肯定し、自らも「休む権利」を行使する「動く心」を示すことで、子どもと共にシステムに抗う姿勢を伝えることができるでしょう。

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スガヤのふせん~個人的ブックマーク

子どもが不登校になったら…いっそ大胆に、親も一緒に仕事を休んでみませんか?子どもだけでなく、親自身が「休む権利」を堂々と行使するという小さな反抗が、社会にさざなみを引き起こし、やがて「不登校のない社会」を実現するかもしれません。

そもそもなぜ「休む」はいけないことなのか?考えてみれば、ボクたちは社会的な「詐術」であり誰かの唱えた「呪い」に妄信的にしたがっているだけなのかもしれない。本著でも「日本社会における「休むこと」に関するルールは、「無知学」あるいは「無明」(ルールを知らされていない、または知ろうとしない状態)によって守られてきた側面がある」と指摘されています

ならば親は、子の不登校でも「動じない心」を持つだけでなく、超えて親が自ら「動く姿勢」(=休むことを選ぶ勇気と、前提を疑う好奇心)を示すこそが社会へのアンチテーゼでもあり、また不登校の子どもに示す”背中”ともなるのではないでしょうか?

あと…先生も、先生”こそ”休んだ方が良い。本著にいわく、公立学校の教員は「精神疾患」を理由に1年以上の休職者が多い。特にその割合は昭和末期以降継続して増加しており、この事実は教員の過酷な労働実態を示唆している。精神疾患で休職や自殺に至る事例において、公務災害認定を受けるための裁判等が長期にわたる問題も指摘されている、とのこと。

より具体的に、初任教員の約4割が1年以内に退職しており、この中には精神疾患などの事例も含まれている。初任者教員の過重な負担は深刻であり、指導担当の同僚教員や管理職の支援の不足が大きなストレス要因となっている。こうした教員の長時間労働は、個人の問題ではなく「構造的な問題」として捉えられている。定額働かせ放題と揶揄される給特法や、膨大な事務作業、部活動指導など、教員を取り巻くブラックな労働慣行が、過酷な労働実態を生み出している。

2017年2月、公立小学校の一クラスの児童数の上限が40人から35人に引き下げられることが決まり、新たな必要となる教員は5年間で約13,000人となります。ところが、教員不足は さらに深刻さを増し、文部科学省が初めて実施した調査によれば、2023年度始業時点において、全国で5,258人もの不足が明らかになりました。様々な報道でこの事実を知った方も多いでしょう。
「教員の不足」は全国で起きていることですが、その不足のまま相当期間(場合によっては一年近く)、 人員が補充されないということが起きているということになります。これは15人で戦うラグビーに例えれば、欠員1名のまま14人で戦うようなものです。しかもこの欠員を残りの教員で補わなければならないことによって生じさせる過重労働から、もう一人(つまりは2人目)が休むという状況が起きています。
(P.73-74)

恐ろしい状況です。皆勤賞もそうですが、こんな状況でも先生が”必死に休まず”働き続けるということは、生徒に対して「具合が悪くても無理をして登校すること」を暗黙的に要求し続けているのです。そんな先生の(ときにつらそうな)姿を見ていれば、…一体この先どうなっていくのか?と生徒も不安にもなり、また息苦しくもなるでしょう。「不登校」はもしや、そういう側面もあるのではないか?

最後は、村上春樹の名言で。

人間というのは自分というシステムの中に常に悪を抱えて生きているわけですよね… 「悪」を抱えていることが怖いのではなく、自分のなかに住む「悪」に対して無自覚になっていることが怖いのです。
(「約束された場所で」)

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