【コラム:社会編】「安心社会」を抜け出す:”Z世代”の孤立と信頼の獲得

  • 当コラムは、先日の読書/勉強会として「Z家族 データが示す「若者と親」の近すぎる関係」で話した内容を中心にまとめています。読書/勉強会は随時開催中ですので、参加希望の方はお気軽にエントリしてください。「こんな本を一緒に読んでみたい!」などのご要望でもぜひ

先日まで「実践編」として対話の技術を、また「哲学編」で自律学習の姿勢を、読書しながら対話してきました。今回は「社会編」として、子どもたちが社会で生きていく上で最も大きな壁となる「孤立」と「不安」という構造的な問題に向き合います。なお、今回は「構造」や「世代」という”主語の大きい”話をしますが、これは子どもたちが「親世代と違う感覚」で生きているのだ、という実感を得るためのものです。もし「うちの子には当てはまらない」と思っても、そういう「風潮」なんだと思って参考ください。

さて「不登校」とは、子どもが「慣れた所属先(学校)」を離れ「孤立」することです。しかしもう一方で、より大きな「他者/社会」への接続への極度の不安を感じ、閉鎖的になります。少しややこしい言い方になりますが、不登校は内と外 ー つまり「学校という内集団を離れる行為」であると同時に「”外”の不安定で広大な世界」に出ること ー への「極度の不安」が引き起こっている、いわば”宙ぶらりん”現象なのです。

こうした現象は「現代版」の不登校とも言われ、たとえば過去の「非行」などを伴ったものとは「タイプが違う」との指摘もあります。いわば「Z世代特有」の症状なのです(ちなみに不登校は過去最高に対して、若者の犯罪率は過去最低で推移しています)。

なぜ日本の若者は「内向き」になり「安心」を過度に求め、外部と「信頼」を築くことを避けるのでしょうか?

今回は「安心社会」と「信頼社会」というキーワードから、不登校が起こる背景、およびこれから若者たちが生きていくその先の社会にある「孤立への懸念」を解き明かします。

結論から先に言いますと、今回は「親が子どもを「内向き」に囲い込むのではなく、「外の世界」へ半ば”押し出す”。このことで自ら信頼を結び、挑戦する力を育むための具体的な「体験」と「コミュニケーション」を推進しましょう」という指針を示します。子どもが真の自立を果たすために、親が社会に対して”意識的に”かつてと変えるべき視点を持ち帰ってください。

1. Z世代の孤立の構造:日本は「安心社会」である

「安心社会」の罠と不安の根源

日本は、長年「安心社会」として機能してきました。これは、集団のルールを破った者には「罰(排除)」が与えられることで安定が保たれてきた構造でもあります。この構造において、学校は「いじめ」や過度な「競争」といった苦痛を伴っても、「後ろ盾がある」という慣れた所属先(内集団)として機能してきました。

子どもが不登校という形で学校を離れる行為は、この慣れた「安心の構造」を自ら離れる行為であり、同時に「外の世界(ルールや保証がない信頼社会)」に出ることへの極度の不安を伴います。

  • 不安の二重構造:子どもは内集団で発生した苦痛から逃れようとしますが、もう一方で内集団が与えてくれる唯一の構造的な安心を失うことにも恐怖を感じているという「ジレンマ(がんじがらめ)」状態にあります。
  • 「既知/既存」への回帰欲求: 親から伝え聞く「失われた30年」や「終身雇用の崩壊」など、長期的な安定や関係が崩れる中で漠然と不安を感じた若者は「既知」…家族や幼少期から続く友人といった「極めて狭い内集団」へ回帰したい潜在的な願望が強い傾向があります。

この結果、若者は「内向き」になりやすく、友人関係は「少なく強い」、また「家族(こと母親)を頼る」という傾向が強まります。反面、新たに外集団と「関係」を築くという”リスク”を伴う行動を、避けるようにもなるのです。

行動への無力感

伴って日本の若者は、「不安」や「不満」の水準が高いにもかかわらず、それを原動力に行動へとつなげる割合が極めて低いことが明らかになっています(※OECD(経済協力開発機構)の国際調査による)。これは「安心社会」のもとで、ルールの外に出た瞬間「後ろ盾」を失うという不安が強く、そこをはみ出してまで自分の力で何かを変えようとしない「リスク回避の意識」や「行動への無力感」が育まれやすいためです。

2. 「信頼社会」へ踏み出す鍵:三つの基本的欲求の充足

しかしいわんや、「既知」を離れ「未知」に拓かれなければ、新たな発見もその喜びもありません。子どもの「内向きさ」を打破し「外」へ踏み出す力を育むには、どうしたらよいでしょうか?

本著では、「つながり」「有能感」「自立性」という人間の三つの基本的欲求を満たす体験を与えることが重要、と説かれています。

三つの基本的欲求

  • つながり(Connectedness): 他者と人間関係を育むこと。
  • 有能感(Competence): 「自分はできる」という感覚を持つこと。
  • 自立性(Autonomy): 自分の意志で行動しているという実感を持ち、自己決定すること。

これは奇しくも、(先に勉強会で触れた)慶應義塾大学 前野氏が提唱する「幸福」の定義とよく似ていますね

  • ※前野氏による幸福の4因子
    • やってみよう因子: 夢や目標を持ち、成長をめざすこと。(自己実現と成長の因子)
    • ありがとう因子: 多様な人とのつながりを持ち、感謝や親切によって幸福を得ること。(≒つながり)
    • なんとかなる因子: 自分の良い点も悪い点も受け入れ、楽観的で前向きな姿勢でいること。(≒有能感)
    • ありのままに因子: 他人の目を気にせず、自分らしく独立して生きること。(≒自立性)

「人助け」という体験の意義

この三つの欲求を同時に満たせるのが、「人助け」という体験です。特に重要なのは、身内ではない見ず知らずの他者を助ける経験です(聖書の「善きサマリア人」の教え)。

内輪の助け合いが「安心社会」のポジションを守るための打算を含みがちなのに対し、見ず知らずの他者を助ける経験は、リスクを取り、自発的に他者と信頼関係を結ぶ力を育みます。手を差し伸べてみたものの裏切られてしまったといった「失敗」を経験しても、それでも「行動することで何かが変わるかもしれない」という前提や期待が、子どもを「信頼社会」の入口へと導きます。

では日常でどれくらい「人助け」を行っているでしょうか?具体的には「ボランティアへの参加」などがあるでしょうが、これは非日常的でなかなか継続するのは難しいことです。勉強会への参加者に聞いてみたところ、以下が挙がりました

  • 家族の食事作りへの参加: 自分の分だけでなく、家族全員の食事の一部(サラダを切る、ご飯を炊く、食器を洗うなど)を「担当」する
  • 高齢の隣人への声かけ・荷物運び: たとえ短時間でも、近所の高齢者に声をかけ、できれば「重い荷物を玄関まで運ぶ手伝い」を申し出る。
  • 公共スペースの「片付け担当」: 公園や地域の図書館の床に落ちているゴミを毎日一つは拾う。
  • 弟妹や友人の「先生役」: 自分が得意な教科やゲームの攻略法を、相手に分かりやすく教える。
  • コミュニティへの情報提供: 近所の新しいお店やイベント、またはオンラインで得た役立つ情報を、家族や友人に能動的にシェアする。

これらの行動は、「誰かに指示された手伝い」ではなく、「自分の意志で、他者に良い影響を与えた」という実感を子どもにもたらします。親世代では半ば”当たり前”の感覚だったかもしれませんが、子どもたちZ世代では割と特別で、促されないと行わないことだったりします。

シンプルで簡単なことですが、これが子どもを「信頼社会」へと拓く、自発的な貢献の第一歩となりますのでぜひ試してみてください。

3. 親が子どもに与えるべき「体験」と「コミュニケーション」

以上のように子どもに「他者を信頼する力」を育ませるには、なにより”親自身”がロールモデルとなること、また家庭内で「内発的な動機」を奪わない環境を作ることが必要です。そこで参加者にアイデアを募ったところ以下が挙がりました。

「日常で重視すべき具体的な行為・働きかけ」の一例

  • 親の仕事や生活の「失敗」や「困りごと」を隠さず、外部(周りの誰か)に相談して解決してみせる
  • 見返りを求めない「人助け」の機会を意識して作り、親自身が率先して他者に貢献する
  • ニュースや他人の行動に対し、感情的な批判や決めつけをしない姿勢を子どもに示す
  • 地域のサークルや読書会などに参加する。親自身が既存とは異なる新しいコミュニティに参加する様子を見せる
  • 率先して「初めてのお店」やその料理に挑戦する

一見素朴で当たり前なこれら「働きかけ」は、子どもに「外の世界」を変えられると信じ、「信頼する力」と「自分で決める力」を育んでいきます。

危険な「成果主義」の排除

対象的に、受験や資格取得のため子どもが夢中になっている活動(野球、趣味など)をすべて手放させてしまうのは、子どもの三つの欲求すべてを奪う行為です。外発的な動機(報酬、評価)によって努力しなければならないときにこそ、並行して内発的な動機、またはその過程による充足を得られる場を確保してあげることが重要です。

現代社会では、油断すると自分の行動が外発的な動機づけばかりになってしまいます(先日触れた「グレート・ゲーム」です)。その蓄積によって、自分の内側から湧き上がる興味や意欲が抑圧されてしまい、「自分で決められない人」になるリスクがあります。

なのでこの世代の親は意識的に、子の「興味/趣味」を守り、また「意欲の回復(何もしない/ボーッとする)」という”評価対象外”の時間を確保してあげる必要があるのです。

親の「心理的安全性」がホームになる

なにより親が子どもに対して「心理的安全性」の高いホームであることが、子どもが外の世界の理不尽に耐えるための基盤になります。「いつでも帰ってこれる」場所合ってこそ、外で冒険しようという意識につながります。

そのための実践的なモデルとして、「3つのステップ」を意識しましょう。

  • 認知的共感: 子どもの感情を認識する(例:「あなたはそう感じたんだね」)。
  • 認知的説明: 必要であれば、理由を筋道立てて説明し、理解を促すこと。
  • 自己決定の機会: ごく些細な選択でも良いので、自分で決める機会を委ねること。

もちろん親がすべての役割を担う必要はなく、子どもが心理的安全を感じられる大人がひとりでもそばにいれば、自尊心やウェルビーイングに好影響をもたらすことが分かっています。夫婦や家族で分担したり、余裕がなければ外部に委託してもよいのです。勉強会参加者からのコメントでも、「私は忙しいので無理でも、母(子にとっておばあちゃん)は黙ってただ相槌をうってくれる存在」「フリースクールは自己決定を積極的に支援してくれる場」などが挙がりました。

4. まとめ:意識的に外へ、意欲的に他者へ

不登校からの自立…というか若者の「社会(および未知)への接続」は、結局のところ「自分の力を信じ、外の世界で新しい信頼を築けるか?」にかかっています。

「安心社会」の構造は、個人の成長を抑制し、無力感を植え付けます。私たちが目指す「脱学校」のポリシーにおいても、この構造(内側に閉じられた関係性)のみに無批判に従うことをやめ、子どもが自ら外部につながり、自分の人生の主導権を握る「自治」の感覚を取り戻すことが目的です。

親は、子どもを”囲い込む”のではなく、親自身が「ひとりで抱え込まなくていいんだ」と認識し、ゆるやかな共同体を持ち、つながること。社会のなかで「役割」を果たし、他者への信頼と奉仕の体験を与えることを自ら示してあげるとよいでしょう。

この行動を通じて、”Z世代の”子どもははじめて「孤立」から解放され、真の「自立」へと向かう力を獲得するのです。親世代にとって当たり前だった社会が、薄く遠のき始めています。私たちはこのことを認識し、改めて子どもに関わり続ける必要があります。

今回「構造」や「世代」など”大きな主語”の話をしてしまいましたが、一方で「親子」とはこの距離やスケールを”スッ”と越えられる感覚を平素から共有している関係です。親が意識するだけでも構いません、ぜひ今日から今すぐ、試してみてくださいね。

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